鳴門市民劇場
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みんなの広場

2020年からの記録

最新のみんなの広場

ねんまる祭(年間まるごと文化祭)第1回

演題「藍住町のかたちを探る」

重見高博

 2023年4月8日(土)に藍住町教育委員会社会教育課重見高博さんをお招きして、「藍住町のかたちを探る」というタイトルで藍住町の歴史全般についてご講演いただきました。

 吉野川水系によって形成された藍住町の歴史考古学的からの見た阿波の中心として栄えた勝瑞や室町時代に勝瑞に守護所が置かれた話。徳島は、藍染めではなく全国でも有数の藍の生産地である話。その藍商人が全国各地との文化交流の担い手となり、結果阿波踊りや阿波人形浄瑠璃などの阿波を代表する芸能活動 が活発になった 話。藍住が文化と関わっていく話には興味深く聴かせていただきました。

 会員を含めて40人弱の参加者で、予想以上に参加者は嬉しかったです。公演後にプチクイズを出して、和やかな会場となりました。終了後のアンケートも好評価がほとんどで幸先の良いスタートが切れました。

 次回は、6月4日(日)13時半から小ホールでライブコンサートがあります。多くのお知り合いを誘ってください。

講演の様子
(文責 TN)  

山崎辰三郎さん講演会

演題「私と前進座の半世紀」

 2022年6月25日(土)鳴門市健康福祉交流センター3階大会議室で開催された、サークル代表者会の中で劇団前進座座友の山崎辰三郎さんの講演会が開催されました。

 講演に先立ち、前事務局長Fさんから山崎辰三郎さんの紹介がありました。 前事務局長

 山崎辰三郎さんを紹介させていただきます。皆様ご存じのように、辰三郎さんは徳島のご出身です。徳島の方が、こんなに大きな劇団で中心になって活躍されていることはとても貴重で、徳島県人の誇りです。辰三郎さんは女形をされていますが、存在感がとても大きく、力強く凛とした女性を演じられる俳優さんとして、右に出るものはいないでしょう。鳴門市民劇場には何度も来てくださっており「芝浜の革財布」などたくさんの作品を見せてくださいました。また、鳴門グランドホテルで鳴門市民劇場独立10周年のパーティを開催した際、東京から駆けつけてくださり、かっぽれの踊りでお祝いくださいました。郷土愛あふれる優しい方です。

 山崎辰三郎さん講演内容

『とーーーざい とざい とーーーざーーーーい』 山崎辰三郎
 『一座 高こうは ござりまするが 不弁舌なる口上な以って
             申し  あーーげ奉りまする!!』   (口上形式)

鳴門市民劇場・代表者会議にご出席の皆さん、今日は!!
徳島市に生まれ育ち、23歳で役者を目指して上京しましてから約半世紀。
前進座での役者生活、49年目の今年3月、徳島への故郷帰りを実行しました、団塊世代、山崎辰三郎にござりまする。

この着物は、劇団の先輩、先代の、嵐芳三郎さんの着ていらしたものを頂戴したものなんですが、折角ですので今日はこの姿で、頑張って車を運転してまいりました。

先月5月22日に、劇団前進座は創立91年目を迎えさせていただきました。
独立劇団の歴史としては、人形劇団プークさんが、前進座より古いのですが、文学座さん民芸さん俳優座さん達、現存する、どの新劇団より長い歴史を歩ませて頂いているのが劇団前進座です。
『91年間もどうやってそんなに長い歴史を歩んでこられたのだろう?』
我が劇団ながら、そう思いますよね?
そして、これは自慢になっちゃいますが、その前進座で私は間もなく通算一万回目の舞台に立たせて頂きます。パソコンの私の記録では、実は、今9829回なんです。
今回の、コロナ禍でどの劇団も舞台公演の数が激減したここ2年も、年間80回以上の舞台に立たせて頂いています。
これは多分、松竹の歌舞伎俳優さん・新劇の俳優さん・商業劇場に出られている俳優さんを含め、恐らく数少ない存在だと思います。まぁ、完全に自慢話なんですけどね。紹介させて貰いました。お許しください。

約半世紀前、私が役者を目指して上京すると知った周囲の家族・友人達は『えー!お前が!』と、概ね吃驚した顔をしておりました。
と申しますのも、今は、こうやって、平気で皆さんの前で喋ってますけど、私小さい頃から赤面症で、すぐ真っ赤になっちゃうんですよ。小学校時代のあだ名は”ゆでだこ“だったんですよ。そして、阿南高専時代には、吃音症・どもることに苦しんだ時期もあり、駅で切符一枚買う事に苦しんだこともある私が、どうして48年間も、役者を続けてこられたのか?これも不思議ですよね。
そんな疑問に、ウン、まぁ少しは納得したわね、と皆さんに言って頂けるような、お話が出来たらいいなぁーーと思います。どうぞよろしくお願いします。

1966年3月、もう56年も前になりますが、徳島労演さんの時代に、徳島市の文化センターで渡辺美佐子・山本学、お二人が主役の舞台、劇団新人会の『オッペケペ』の舞台を観た事が、私の役者人生の出発点です。
 権利幸福嫌いな人に 自由湯をば飲ましたい オッペケペ オッペケペ オッペケペッポウ ペッポッポー !
壮士姿の川上音二郎が、時の明治政府に対して訴えたあのオッペケペ節です。
舞台のおしまいに紗幕がスーっと下りて、音二郎役の山本学さんが、シルエットになる素敵な幕切れなんですが、その時私は暫く文化センターの座席を立てなかったことを思い出します。その日の日記に『俺は役者を目指す!』と、殴り書きをしているんですけど、18才の春、そんな多感な時代が、まぁ私にもあったんですねぇ!

私は、阿南高専を出て、サラリーマン生活を2年半やりました。
実はイワタニのガス会社でしたので、すぐそこ、松茂のプロパンガス基地務めをほぼ一年したこともございました。
で、上京してから、養成所を経て、劇団前進座に入座したのは、25才の時です。役者を目指すものとしては、かなり遅い方でした。
でも、今考えてみますと、ある劇団の中で歌舞伎の財産演目を持つ前進座との出会いは、ちょんまげ・着物がしっくりくる、私の水に合ってたんだなぁと、今はつくづく実感しています。
そして、入座して、当然沢山の人達との出会いがあって今があるのですが、私の場合は、創立メンバーのお一人で名女形だった、先代河原崎国太郎さんとの出会いが大きいですね。(松山英太郎・政路兄弟の父で現在の前進座の河原崎國太郎はその孫にあたります)
国太郎さんは、出会った時には既に60代半ばになられていて、まさに女形さんとして円熟期だったんですが、その時期に身近で舞台を見て、色々教わる事が出来たのが大きかったですね。今の、松竹さんで言うと坂東玉三郎さんのような存在でした。圧倒的に美形の女形さんで、とにかく、綺麗なんです。ああ、この人は、女形になるべくして生まれて来たんだなぁと本当にそう思いましたから。

松竹歌舞伎の世界では、いわゆる「お弟子制度」というものがあって、トップの役者さんには何人もの一門のお弟子さんが身の回りのお世話をするのが通例です。これは今もそうです。
前進座の場合は、そのお弟子制度とは少し違って「専任助手」という名で公演ごとにお手伝いをする助手さんが任命されるという形です。
師匠・弟子の主従関係ではないという事ですね。
私は国太郎さんの専任助手を何度もやりましたから、楽屋では、身近にいて色んなお手伝いをするわけです。歌舞伎では、水化粧と言って、基本は、お白粉・とのこでメークをするんですが、刷毛でさっとお白粉を塗るだけで、意気で江戸前の素敵な女形に国太郎さんは変身するわけですね。
「こりゃぁ、とてもとてもかなわないなぁ、とても追いつけやしない」と心底思っておりました。

東京銀座のど真ん中で芸者さん達に囲まれて育った、幼い頃のその生い立ち。
市川猿之助一門に入って、松竹歌舞伎での市川笑也としての、下積み時代。
前進座の創立に加わって、僅か二年目23歳で立女形河原崎国太郎を襲名してからの精進。(立女方というのは、一座のトップの女形さんのことです)
そんな諸々が全て体に、仕草に、染みついているんですね。
そして、インテリで座談の名手・お話上手でおしゃれで、その時代で言うハイカラなんですね。
洒落たおじいちゃんならぬ洒落たおばぁちゃんでしたね。

真女形(真の女形と書いて)マオンナガタという言い方をしますが、真女形さんとは、基本、男性役はやらない役者さんのことです。
国太郎さんの場合、普段日常から女性のしぐさ、話しぶりで通されていました。
「お前さん何やってんだい。ちょっと、こっちへおいで!」いわゆる女性言葉を日常でも使っていらして、実は、おしっこをする場合も立って…じゃなくて、女性用のトイレをずーーと、使っておられましたからね。

「女形はルーツが大切だからねぇ。お前さんは出が、四国の山猿だからチョットねぇ」なんて、笑いながら辛辣な言葉も貰いましたが、それはそれは、温かく御指導下さいました。
入座8年目に、山崎辰三郎の芸名を頂き、(山崎は河原崎の弟子名前なんです。ですから屋号は同じヤマザキヤ!です)
私と亡き妻・今村文美との結婚の際は、お仲人までして頂いたまさに恩人と言える人です。

講演会全景

チョットだけ、気分転換に女形の台詞を聞いて頂きましょうか。
晩年に『四谷怪談のお岩』先月国立劇場で上演の『お六と願哲のお六』、『うんざりお松』
等、次々に素敵な女形ぶりで、悪婆ものをやったら当世第一と、高い評価を受けた国太郎さんの極め付きの代表作『切られお富』の、ゆすりの部分の台詞を聞いて頂きましょうか。

元の亭主の所に、ゆすりに来ている部分です。

『それじゃぁ うぬらは ゆすりに 来たのか!』
これは、男の台詞ですよ。

『そりゃぁ あなたが おっしゃらなくとも 何れも様が 御存知だぁあね。女だてらに あばずれた 切られ切られと言われるも 傷がなけりゃぁ 引きまみえ 自前稼ぎか旦那取 亭主を色に 栄耀食い 和田や大和田の鰻より 小粋な筋もあるけれど 額にかけて 七十五針 総身の傷に色恋もさった峠の 崖っぷち 打ち込む塩に 濡れ手で粟金は取ってもね たかがゆすりだよ どっかにお出での旦那のように夜盗かっさき 矢じりきり まだ盗人は しやぁしねえよう!!』

山崎屋―――  と、声がかかるんですが。
気分の悪くなった方、どうぞおトイレへ。

まぁ、若い時は、雲の上の人のような存在でしたから、まさか国太郎さんの代表作の一つでもある『芝浜の革財布』のお春役を後年やらせて頂けるとは思ってもいなかったですねぇ。

この着物を着ていらした、嵐芳三郎さんが当然長く務めるはずのお春役を、思いもかけず61才でお亡くなりになった時、急遽、私にやらせて頂けたのでした。

今回、調べてみましたら、ここ鳴門で「芝浜の革財布」お春役を、例会で2回取り上げて頂いているんですよ。
1997年と2015年の2回。主役の魚屋・熊五郎女房「お春」という大きな役で2回ですから、これは鳴門の会員の皆さんに大感謝ですね。
鳴門会場で私が例会に出演しましたのは多分6回程だと思いますので、これは、本当に凄い事で、ありがたいですね。

実は、この『芝浜の革財布』上演の中で、私は御亭主を3回変えているんですね。大先輩・中村梅之助さんと市川祥之助さん、そして、現在の劇団トップ藤川矢之輔さんです。

この3人の女房役。これは、まさに役者冥利ですね。
ほぼ200回程やらせて頂いた「お春さん」なので、色んな思い出がありますが、私がこれまでの役者人生の中で一番キッチリ、細かく教えて頂いたのが中村梅之助さんからのお春役への御指導でした。
残念ながら6年前に亡くなられましたが、梅之助さんは、『遠山の金さん』『伝七捕物帳』で、一気に茶の間のスターに上り詰めた方で、台詞のうまさは当然なんですが、江戸前の切れのいい台詞が抜群なんですね。
若い時に、ぴし!アイテ!何をしやがんでぇ!この微妙な意気と間、感性が役者は、なくちゃぁいけないと、教わりましたけど、とにかく音感が素晴らしく、台詞に切れがある方だったんですね。

『芝浜』のお芝居を終えて楽屋に「お疲れ様でした。有難うございました」と、伺いますと「辰三郎君、今日の芝居でわらじを出す処のあそこの台詞がダメダなぁ!あれは違う!全然だめ!」 台本
と、具体的にこうおっしゃる
んですね。私としては、すぐにはピンとこないんですよ、わからないんですね。
「いやぁーー、一生懸命やってるんですけど、、、」心の中でそう思っても、そんな事は言えません。その場面はと言いますと、亭主の熊五郎がお春に向かって
デンツクデンデンツクツク デンツクデンデンツクツク
熊五郎がお春の訴えに改心して、新しいわらじを履いて河岸に出かける場面です。
題目太鼓が入って盛り上がるいい場面なんですね。

梅之助さんは「これは江戸の下町、長屋だよ。歌舞伎の世話物だよ。相手のこの台詞には、当然この音の高さで返す、この意気この台詞回しで返す。これは、絶対にこなせなきゃいけない」

と、こうおっしゃるんですね。
この二人の芝居の前に、お春が心情を吐露する長台詞があるんですが、「長台詞なんかの場合、しっかりと台詞を読み込んで区分けをして、ここはこう、ここはこうと、意気・音の高さ等の工夫をしてやらなきゃぁ駄目なんだ。その役を、舞台で生きるんだから、一生懸命にやるのは当たり前で、それだけでは駄目なんだ、それでは、お客様の心を掴めないし感動させることが出来ないんだ」

このことを口を酸っぱく教えて頂いたなぁと、本当に感謝しています。

俗に「長者三代まで」又、逆に「三代続けば七代続く」などの諺がありますが、劇団がこれだけ長く続けられてきたのは、前進座の場合、創立者達のエネルギー・功績につきる、こう言えると思います。
一番の特徴的な事は、創立直後前進座は『戦国群盗伝』『河内山宗俊』など主に映画の成功で当時のお金で5万円、今なら何億というお金が残ったんですね。「みんなで分けよう!」当然起きる声を押えて吉祥寺に2000坪の土地を求めて、共同生活を始めた訳です。これが、長い歴史の大きなポイント点・出発点だったと思っています。

劇団の創立50周年を記念して、全国の皆様からの募金も頂いて吉祥寺に座席数500席の自前の前進座劇場を建設出来たのもこの土地があればこそでしたし、丸30年頑張った、この前進座劇場を手放さざるを得ない経済状況になった時、積年の借金返済の目途がつけられたのもこの土地があればこそでした。

もう一つ、劇団の歴史を振り返りますと、会社制・給料制でやっていた事が大きいですね。前進座は歌舞伎の世界から河原崎長十郎・中村翫右衛門・河原崎国太郎達が、飛び出す形で作った劇団ですが、創立時から【舞台の収入で劇団員の生活を保障する】という、理念を持ち続けていました。
額は少なくとも頑張って、給料制でやってきましたし、入座直ぐの人とトップの人の給料も数倍の範囲で抑えるというのが方針でした。
まぁ、歌舞伎の世界では、百倍近いの給与の差は普通ですし、役者の給料制はどの新劇団でも出来ていません。
これは、劇団員の結束という意味でも、本当に凄いことだったと思います。

ただ残念ながら、本当に残念ながら、長年続けて来た役者の給料制を、コロナの追い打ちもあって、昨年、手放さざるを得ない結果になりました。今、主に劇団の男優陣は、舞台の無い時、色んなアルバイトに励まざるを得ない現状になっています。これはまさに痛恨の極みです。

今年の3月『ひとごろし』例会を、鳴門の皆さんにお楽しみ頂けました。
私も、藍住町文化ホールで御一緒に見せて頂きましたが、
【きわめて、簡素化された舞台での少人数公演。山本周五郎さんの世界をこんな表現スタイルで、鳴門の皆さんに、十分にお楽しみ頂けている】と、こう確信出来てホッとしたのですが、本音を言いますと、前進座は、歌舞伎劇、時代劇、現代劇含め沢山の財産演目を持っています。他劇団ではなかなか御覧頂けない歌舞伎作品・大型の時代物の作品等も、是非見て貰いたいと、強く思っています。

今、鑑賞会運動は色んな意味で大変難しい時代を迎えている事を重々承知で言いますが、流れを変えるうねりを鳴門から、と男性会員も多く、頑張っていらっしゃる鳴門からと、願わないではいられません。

時間が迫ってまいりました。宣伝させて頂きます。例会ではないのですが、10月24日(月)あわぎんホールさんで、2時と6時半の2回公演、全席指定席、前売り価格5000円で、山田洋次監督、脚本・監修によります、落語種喜劇『一万石の恋』を、実行委員会さんの主催で公演させていただきます。

コロナ禍の昨年秋、山田洋次監督が吉祥寺の稽古場に約20日近く詰めて頂いて作り上げ、既に大阪文楽劇場・東京新国立劇場・京都劇場等の大都市公演、地方巡演も含め、60回近く公演し好評を頂いた作品を、そのまま、同じキャスト、同じ舞台装置であわぎんホールに再現します。
(お金の事を言ってはなんですが、京都では一万円頂戴していた舞台です)

実は、山田洋次監督が前進座のために芝居の脚本を書いてくださるのは『裏長屋騒動記』に続いて、今回が2回目なのですが、長年にわたり、幾多の名作映画を世に出し続けている、大御所・名監督がどうして前進座に脚本や演出を?と、皆さんも思いますよね。
それは、監督が大学生の時代に、ご自身の意思で、前進座総出演の『箱根風雲録』の映画にエキストラで出ていらしたという、御縁があるんですねぇ。
そして、監督は、庶民が生き生きと生活する中から、生まれる、本当の喜劇を前進座こそ目指すべきだと、おっしゃって下さっているのです。

『一万石の恋』は、落語の『妾馬』を題材に、山田洋次監督が、独自に【お殿様から一目ぼれされた、長屋の娘・この芝居のヒロイン、お鶴ちゃんが、女中奉公・お妾奉公を拒否して、自分の愛を貫こうとしたら、長屋の連中はどう対応するんだろう】という観点で脚色した喜劇なんですね。
普通に考えますと、お殿様が言い出した女中奉公を「嫌です!」なんて言える時代じゃないですよね。
映画の寅さんを思わせる兄貴が登場したり、強欲なヒロインのおっかさんが登場したり「コロリ」という流行り病が登場したりの、大変、分かりやすい、人情味溢れる喜劇に仕上がっています。
私は、その長屋みみず長屋の家主徳兵衛役で出演しています。
自分で言うのも何ですが、結構活躍しています。

おしまいにチョットだけ、山田洋次監督の稽古場での様子を紹介します。
監督は、映画の現場で、大変なこだわりを持って役者に厳しく接することで有名ですが、芝居の稽古場でも、本当に厳しく、細かく教えて頂けます。
今年の秋には、91才を迎えられるとはとても信じられません。 長屋の場面の幕開き、井戸で水を汲もうとしているヒロインのお鶴ちゃんが、裾をからげると腰巻がのぞくんです。「赤い腰巻か、色っぽいねぇ!」と、長屋の連中が、冷やかす場面があるのですが、何度も、何度も、何度も「ダメ!違う!はい、もう一回!」と、やり直しをさせるんです。私なんかは、幕開きの日常的な場面だし、芝居が流れてればいいんじゃないのかなぁと、思うのですが、、、、。
監督は「長屋の人達の、ちょっとした台詞が本当に大事で、そこに生きている、人間のリアリティーがなきゃいけない!そこに笑いが生まれるんだよ。」と、おっしゃるんです。凄い人だなぁと、改めて思いました。
チラシには、脚本・監修と表示されていますが、完全に山田洋次監督の演出作品なのです。10月24日。まだ、4ヶ月ありますが、鳴門の会員の皆さんには、こぞってお出かけをお願いしたいと期待しています。

演劇界には、無名塾の仲代達矢さんや民藝の奈良岡朋子さん始め、御高齢でも素晴らしい活動を続けられている先輩達が大勢いらっしゃいます。
古希を過ぎて故郷公演が実現するとは思ってもいなかったんですが、私も今少し舞台に立ち続け、故郷徳島に関わり続けたいと厚かましく思っています。

鳴門市民劇場さんの更なるご発展を祈ります。
そして、私、辰三郎への応援もよろしくお願い申し上げます。

本日は、おしゃべりを聞いて頂き、ありがとうございました。

辰三郎さんと会員
講演内容は山崎辰三郎さんから送られた講演原稿より
(文責 I.H.)  

京都南座新春観劇ツアー

 2020年1月12日(日)、恒例の前進座新春特別公演バスツアーは今年で8回目となりました。40名を乗せたバスは、定刻の7時に鳴門を出発しました。毎年前進座で初笑い、今回の劇は「人間万事金世中」タイトルだけ期待が膨らみます。京都四條南座は2年半をかけ耐震補強工事を行っていたので、3年ぶりとなりました。400年の歴史を誇る日本最古の劇場は、荘厳さは以前のままで装いを新たにしていました。鳴門市文化会館は来年から耐震工事に入るので他人事ではありません。

しおり 南座 弁当
ツアーのしおり 京都四條南座 幕間 豪華弁当

 往路は全員の自己紹介から始まりました。劇への期待や、美味しいお弁当が楽しみだという人も、寺山さんによる流暢な鳴門市の観光ガイドに聞き惚れ、京都市内に入ってからはこの作品のみどころについて天野さんから、京都市内の観光案内は司会の井上さんから解説があり、退屈することなく予定通り南座に到着しました。

集合写真
出雲阿国像前で記念写真

 「人間万事金世中」は、伯父役の藤川矢之輔とその妻役の山崎辰三郎、その娘役の玉浦有之祐の3人がケチで意地汚い金の亡者の一家を演じ、男前だが貧乏なのでこの一家から馬鹿にされている奉公人林之助を河原崎國太郎が演じました。ある日この登場人物たちの遠縁にあたる長崎の大金持ちが亡くなります。その遺産は2万円、現在の価値で4億円という莫大な金額です。そのお金の行方は遺言状に託され、遺言状を読み上げる場面の人間模様は大いに笑えました。生前その金持ちに善行を施していた林之助が一夜で大金持ちに、すると金の亡者一家は手のひらを返してすり寄ってくる。ところが林之助はその大金全てを惜しげもなく手放してしまう。すると金の亡者一家は一転して、馬鹿にし始めるというわかりやすい展開。わかっていても館内は大爆笑。最後はあっと驚くどんでん返しも用意され、新春らしい痛快爆笑劇にみな大満足でした。

集合写真
南座ロビーで記念写真

 観劇後は各自お寺に行ったり、喫茶店で過ごしたり祇園界隈の風情を楽しみ、16時に帰路へ、帰りはあずみ野の井上さんの司会。篠崎さんから1月例会「滝沢家の内乱」の紹介があり、バスツアーで恒例になっている藤田進さんからちょっと難しい、でもためになるクイズ。梅津さんからのミニ講演会は、放射能の話「福島のお米、野菜を食べても何の問題もありませんよ」と分かりやすくお話いただき勉強になりました。皆さんマスコミが流す情報には惑わされないようにしましょう。そして、予定どおり19時に帰ってきました。参加者からは劇だけでなく往復のバスの中も楽しく、また来年も参加したいとの声をたくさんいただきました。

祇園 辰巳橋 八坂神社
祇園 花見小路の路地 祇園 巽橋 八坂神社 南楼門
(文責 MI)  
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これ以前のみんなの広場
E-mailでのお問い合わせは        鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。