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にんじん 2022/5/7(土)20:31 |
「全国演鑑連五十年史」を読んでいると、次のような記述が。 --------------------- この取り組み(席づめ)を「例会場のモラル」の問題を解決し、より良くしていく課題として捉えるのではなく、開演前の例会場を会員自らの手で変えていくことにその狙いがありました。鑑賞者が創造に意識的で積極的に参加する重要な場であり機会であると捉えたのです。 --------------------- 京都劇場での出来事を思い起こして、なるほど、まさに「ともに舞台をつくる場なのだ」と感じ入りました。 藍住の会場でも3月例会では遅れてきた方の誘導にかなり苦労した様子。会場のキャパシティの件、コロナの感染予防の件と越えなければいけない課題はありますが、早く席づめについての検討ができるようにしたいものです。 |
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にんじん 2022/4/2(土)10:31 |
1月に観劇した「一万石の恋」京都劇場での出来事。 お芝居が始まって少ししてのタイミングで、遅れて入ってきた観客の方が1組。 係員にともなわれて着席されたのが、最前列のほぼ中央でした。(係の方は腰をかがめてかなり低い姿勢で入ってこられましたが)かなり目立つ感じでドキッとしました。役者の方もかなり意識したのでは…。 市民劇場の観劇ではそのようなことは経験したことが無かったので、強く印象に残りました。 「席づめ」の意味については幹事会でも触れられていましたが、まさにそれを実感しました。 |
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にんじん 2021/12/29(水)12:32 |
岩波科学の本・板倉聖宣著「ぼくらはガリレオ」によると(一部要約) ■シェークスピアの没年1616年、ガリレオはローマ教皇庁より「以後、聖書の教えにそむく地動説を主張しないよう」に言い渡されてしまう。 そこで、彼は時期(16年間)をおき、ローマ教皇が変わったのを機に「天動説論者と地動説論者の話し合い」という形で「天文対話」を発行する。しかし、これも発売禁止とされ、宗教裁判にかけられることに。その結果、彼は地動説が間違っていることを宣誓させられたうえ、教皇庁の監視下で暮らすことになる。 そこでガリレオは、「天文学」から「運動力学」に執筆の領域を移し、旧来の世界観に異議を唱えるという方向に向かう。 その集大成「新科学対話」が1638年オランダでひそかに出版され、次の世代に引き継がれる。 (ちなみに、徳川家康1616年没) ■ガリレオの没年1642年、アイザック・ニュートン誕生。 (ニュートン:イギリスの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者) ニュートンは、「地動説」とガリレオの「運動の法則」とを結びつけて、天体の謎を解く力学の原理を打ち立てることに成功。地上と天界の法則が同じであることを示した。 余談がどんどん広がってしまいましたが、シェークスピアが生きた時代を、想い描くヒントになれば幸いです。 |
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にんじん 2021/12/10(金)20:30 |
新日本出版社・長田好弘著「近代科学を築いた人々・上」によると(一部要約) ■地球は宇宙の中心だとする天動説は、社会の中心がローマ教皇庁だとする中世の支配者層の考え方に合致したものとして、長いこと重宝がられてきました。 …略… しかし、14〜15世紀には、これに反発する考えが神学者の間にも生まれ、「地球が宇宙の中心にあるのは疑わしい」 …略… と言い出す人たちが現れました。 ■この考えをもっとも烈しく推し進めた人がドミニクス派の修道士ジョルダーノ・ブルーノ(1548〜1600)でした。 …略… ローマ教皇庁は、支配者の野獣的臭覚とでもいうのでしょうか、こうした考えの危険性を察知して、ついにブルーノをローマの「花の広場」で火あぶりの刑に処して(1600)しまいました。 この時代、「地動説を支持する者」も「魔女」と同様、宗教裁判により処断される立場だったということです。 |
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ナシ 2021/11/29(月)11:22 |
Webページの更新で色々検索していたらとなみ演劇鑑賞会事務局長・上田良子さんの記事がヒットしたので貼り付けます。 1996年発足以来会員数を増やし続けた奇跡の鑑賞会です。 http://www.asahi.com/area/ishikawa/articles/MTW20210127180830003.html |
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にんじん 2021/11/27(土)18:17 |
■余談になりますが、シェークスピアの生誕と同年、「近代科学の父」と称されるイタリアの物理学者、天文学者、ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)が生まれています。 ・人知を超えたものの存在を前提に、古代〜中世、近世の物語を書き綴ったシェークスピア。 ・人知が及ぶ範疇を広げようとし、近世社会の常識を疑い、近代科学の礎を築いたガリレオ。(天動説に異議を唱え、地動説を支持、宗教裁判にかけられる。) ■また、1610年ガリレオは木星に4つの衛星を発見しましたが、その翌年、シェークスピアはそれを引用し、戯曲「シンベリン」第5幕の中で「木星の神が4つの霊に囲まれて」と綴った、とのことです。(WebSite英国ニュースダイジェストより) 同時代で活躍した二人は、それぞれを意識したこともあるのでしょうか。そう考えると、二人ともが生身の人間と思えてきます。 |
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にんじん 2021/11/8(月)8:38 |
「リビング鳴門」11月号に「旅公演はおもっしょい!」という記事を発見。よく見ると「其の93」だとか。今まで、こういうコーナーの存在をまったく知らなかったのが、ショック。 これははぜひ皆さんにお知らせしたい。 →今月入会してくださった、初観劇の〇〇さんのところに、コピーを届けておこう。(藍住在住の方は知らないはず。) 今、お誘い返事保留のご近所さんも午前中に再お誘いしておこう、と思った次第。 そういえば、鳴門市民以外の会員さんは、この内容を手にしているのだろうか? |
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にんじん 2021/10/20(水)18:36 |
「マクベス」という戯曲は、「魔女」の存在抜きには成立しませんが、現代において、その存在は非現実的です。 では、シェークスピア(1564〜1616)が生きた時代ではどうだったのでしょうか。 ■フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、 「魔女とは、古いヨーロッパの俗信で、超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、または妖術を行使する者のことを指す。 また、中世晩期の15世紀になると、 …略… 「悪魔と契約を結んで得た力をもって災いをなす存在」という概念が生まれた。魔女とは悪魔に従属する人間であり、 …略… 超自然的な魔力や人を害する軟膏を授かった者とされた。魔女裁判が盛んに行われた16世紀から17世紀の近世ヨーロッパ社会において識字層を中心に広まっていた魔女観はこのようなものであった。」とのこと。 シェークスピアが生きた時代は、魔女狩りや魔女を裁く宗教裁判が激しく行われた時代のようです。 ■ちなみに、日本では、戦国時代末期〜安土桃山時代頃。戦国武将は、神に戦勝祈願をし戦に臨んでいるような時代です。上杉謙信(1530〜1578)は、武神・毘沙門天の信仰者で旗印にも「毘」を使っていました。 神や仏、人知を超えたものが身のまわりに当たり前に存在していたという点では、洋の東西を問わず、といったところでしょう。 |
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にんじん 2021/10/15(金)18:49 |
今回は、角川書店・秋島百合子著「蜷川幸雄とシェークスピア」からです。 この書籍は蜷川幸雄が演出したシェークスピア作品26作を、「あらすじ」、「公演や蜷川演出にまつわる話」、「公演データ」という順で紹介しています。 それによると、(一部要約) ■「NINAGAWAマクベス」公演が、1985年8月、オランダのアムステルダムと英国スコットランドのエジンバラ国際フェスティバルで上演され、一大旋風を巻き起こしたそうで、演出の特徴は、 ・シェークスピア劇なのに武士の衣装で本物の時代劇の立ち振る舞いを行った。 サムライ・スタイルなのに、マクベス、ダンカン、マルコムというオリジナルの役名が飛び交う。 ・イギリスでの日本語による上演。当時、字幕はまだ存在しない。 ・仏壇の中で展開する演出。 暗闇の客席から二人の小さな老婆が舞台に這い上がり、両端にしゃがみ込んで弁当を広げながら、大きな開き戸の向こうで起きる野心と殺戮のドラマを眺めている。 ・桜のイメージ。美とともに、はかなく哀しく不気味。 ということだったようです。 11月例会、ベリャコーヴィッチ演出の舞台はどのようなものでしょうか。楽しみです。 |
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NULL 2021/10/8(金)19:42 |
(投稿204よりつづく) 加藤暁子著「日本の人形劇1867-2007」によると(一部要約) ■ワンダーフォーゲル運動に触発され、多様な文化活動を日本でもやろうということで、ラ・クルーボ(エスペラント語でクラブ)が結成され(1927)、ダンスやピクニック、エスペラントやフランス語、自然科学や演劇、人形劇と様々なクラブでの青年男女の集いが生まれた。 ■「プーク」の名前は、こうしたクラブ活動のひとつ、「ラ・プーパ・クルーボ(パペット・クラブ)」が省略されたものである、とのこと。 ■創立から、発展、戦時下の弾圧による強制解散、再建(第1回公演「オッペルと象」)についても記述されています。興味のある方はご一読を。 やっと、「オッペルと象」にたどり着きました。ここまでお付き合いありがとうございました。 ……おわり…… |
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にんじん 2021/10/4(月)8:42 |
なるほど、そうなんですね。 青年期の心の葛藤を、先輩、後輩、同じ世代の者と模索する、手助けする、というのは、洋の東西を問わず、あったのですね。 フォロー、ありがとうございました。 話は変わりますが、自分たちの学生時代(〇十年前)にはワンダーフォーゲル部という部活動が隆盛を誇っていましたが、そのような幅広い運動、大きなうねりの中のものだったのですね。 コロナ禍の方も緊急事態宣言解除されました。ワンダーフォーゲル再開するとしましょう。 |
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205![]() |
金時 2021/10/3(日)16:20 |
鹿児島を旅していた時に,知りました。 薩摩藩の「郷中」教育を,範としてつくられたと,知覧武家屋敷庭園を散策していて,地元観光協会の会長さんに教えていただきました。 |
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204![]() |
にんじん 2021/10/1(金)18:36 |
(投稿203よりつづく) 加藤暁子著「日本の人形劇1867-2007」によると(一部要約) ■前述のドイツ兵の人形劇と直接にはつながらないが、俘虜収容所内で行われていた多様な文化活動、サークル活動という点では重なることが、1929年に創立された人形劇団プークの前史にあるようだ。 ■プーク創始者の一人川尻東次とその友人たちが、同人誌の発展として人形座を旗揚げした。同人の一人が持ち込んだ、外国土産の人形芝居の手引書がきっかけだ。 何か新しいことをやりたがっていた16,7歳の青年たち、そこにドイツ帰りの新聞記者が「ワンダーフォーゲル運動」という新情報を持ち込んだ。 ■ワンダーフォーゲルとは「渡り鳥」を意味し、グループで山野を徒歩で旅する青年運動で20世紀にドイツで起こった。 体を動かすだけの楽しみではなく、各地の民話や民謡を採集するなど民衆文化への関心も含む、とのこと。 ……つづく…… |
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203![]() |
にんじん 2021/9/25(土)23:15 |
(投稿202よりつづく) 加藤暁子著「日本の人形劇1867-2007」によると(一部要約) ■板東俘虜収容所のドイツ兵が交響楽団をつくり、それが今の年末恒例、ベートーヴェン第九演奏会のもとになっていることはすでによく知られていること。 かれらは演奏会だけでなく、劇団をつくってイプセンに挑戦したり、人形を作ってカスペル劇(ドイツの民俗的人形劇)もやったそうだ。 1918年4〜5月に、クライストの「こわれがめ」(俳優劇)と「人形劇」、翌19年5月、人形劇「ドクトル・ファウスト」上演の記録がある。 ■なお、18年3月には、板東町の四国巡礼一番札所、霊山寺内と門前の公会堂で、10日間にわたって「俘虜製作品展覧会と演芸会」が開かれた。大勢の見物客が県内はもとより淡路島からも押し寄せ、地元はお祭り気分だったそうである。洋菓子、ソーセージ、ヨーグルトも販売され、洗濯機械が展示されたそうだ。 他の収容所と比べて、市民との交流もはるかに多く、人形や道具をゆずりうけた方もいたかもしれない、とのこと。 ……つづく…… |
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にんじん 2021/9/22(水)20:26 |
研究熱心な先輩諸氏に触発され、2か月前、文化の森県立図書館に参考図書を探しに行きました。 そこで見つけたのが、法政大学出版局・加藤暁子著「日本の人形劇1867-2007」でした。 それによると、(一部要約) ■西洋と日本、人形芝居の違いは ヨーロッパはマリオネットが主流、 日本は糸操りは少なく、ほとんどが人形を下から差しあげて遣う方式 だとのこと。 ■この違いは、人形劇が生まれた経緯と関係しているそうで ヨーロッパでは、人形を人間のミニチュアと考え、人形を使って天国も地獄もふくめた小宇宙をつくりだそうとした。 日本では、人形劇の源流は神事あるいは祝福芸にあった。祭礼などで神さまを喜ばせるもの、あるいは人々の家をたずねて神さまのかわりに祝福をさずけるものであった。人形は、小さい人間というよりも、神と人のあいだをとりもつメッセンジャーであった。そこから人形は差しあげて遣うのがふさわしい。 という考察でした。 ……つづく…… |
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ナシ 2021/9/22(水)15:47 |
私はこのホームページの作成担当です。 オッペルと象の色紙を今回アップロードしたのでその方法について投稿します。 まず例会があると劇団が鳴門市民劇場用にため書きのある色紙1枚と会員プレゼント用の「数枚を書いてくれます。例会翌日は休局なのでそれ以降の日に事務局に行き鳴門市民劇場用の色紙のスキャンに行きます。色紙はA4より巾があるのでA3用のスキャナーでスキャンします。スキャナーはエプソンのES8500という2000年製造のもので某職場で廃棄になったものを拾ってきたものです。色紙の画像を見てもらえば分かりますが20年以上昔のものでもかなりきれいにスキャンできます。普段は使わないのでしまってある場所から重さ22kgもあるスキャナーをパソコンの近くまで運びます。エプソンのソフトを使い300dpiで余白をとりスキャンします。そのデーターは3600×3300ピクセル程度で約2MBの容量です。データーをUSBメモリで持ち帰りGIMPというフリーの画像加工ソフトで編集します。色紙というものは半分手作りのようで完全な長方形ではありません。いびつな色紙画像をGIMPで加工して長方形にします。それを色紙の大きさで切り取って、Webページに載せて大きすぎないに530×600ピクセル程度に縮小します。今回は象の絵を色紙に貼ってあって下の部分が色紙のそのままの色だったのでグレーになっていたのを象の絵の余白の色と統一しました。かなり手間がかかっているのをわかってくださいね。 |
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金時 2021/9/21(火)23:39 |
来訪者が少ないので,・・・ (^^;)(^^;) 各委員が,月1回以上投稿しようと決めました(^^)v 早速の投稿もありました♪ 感謝(^^)v |
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ゆんちゃん 2021/9/21(火)20:1 |
鳴門市民劇場の例会は、9月15日(水)でした。 私にとっては初めてのプーク公演の観劇! 宮澤賢治原作の作品が、とても魅力的な舞台になっていました。 今まで見た人形劇とは全く別物でした。 2mを超える象の動きとちび象の動きがとってもかわいかった。 白象の心の成長が描かれていて、心に染みるセリフもたくさんありました。 キャストの方が人形を操りながらセリフをしゃべっているんですよね。すごい職人技です。 何度も観たくなる作品でした。 |
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タイ 2021/9/21(火)19:55 |
人形劇団プーク「「オッペルと象」を藍住町総合文化ホールで観ました!!とにかく白い象がかわいくて可愛くて、潤んだ瞳がもう私を虜にしました。 音楽もすてきなマリオネットさん(ポルトガルギター&マンドリンギター)。心も体も癒してくれました(^^♪ |
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ナシ 2021/7/20(火)11:11 |
久々の投稿です。 皆さま9月例会は人形劇団プーク公演「オッペルと象」ですね。 このお芝居の原作は宮澤賢治の短篇童話の「オツベルと象」です。 原作はインターネット上の電子図書館の「青空文庫」で無料で読めます。 「青空文庫」は著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているサイトです。 収録作品はボランティアの手により電子化されています。 スマートホンやタブレットでは青空文庫アプリを入れると縦書きで読めます。 パソコンでは色々な方法があるので、「青空文庫」「縦書き」で検索してみて下さい。 それでは、原作を読んで9月例会を楽しみましょう。 |
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E-mailでのお問い合わせは 鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki.pikara.ne.jp
まで。