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―おとなの童話―オッペルと象

人形劇団プーク公演

鳴門市民劇場9月例会
 2021年9月15日(水) 感想集


鳴門例会カーテンコール

人形を巧みに操り感情も込める役者のすごさ、白象の存在感、踊りや歌の素晴らしさ、純粋さが感じられ引き込まれました。

先日、鳴門市民劇場の9月例会「オッペルと象」(人形劇団プーク)を観た。
 舞台では、「台風の最中の村の中の荒れ狂った様子」、「洪水に飲み込まれた子供が水中でおぼれて、それを助けている大人の動き」、「鍛冶屋が作業している ときの炎、そしてそれが周囲に飛び火して大火事になった様子」などが、布や光 で表現され、綺麗かつリアリティーに富んでいたのが印象に残った。
 通常脚本は読まないが、その後の感想会で原作は短いと聞いたので読んでみた。
 約7800文字くらいで、劇の内容は想像できなかった。脚本・演出者はすごいなと思った。

台風の接近で上演するのか心配でしたが、観劇できて、内容にも大感激でした。
 人形のクオリティーの良さにビックリ!
 また使い手の上手さにビックリ!
 話も分かりやすく、声も聞き取りやすかったです。
 徳島市民劇場では、数人の子供達が招待されていましたが、この様な人形劇は子供達に見せてあげたいと思いました。

大きな象を操ることは、大変なことだろうと想像しながら舞台に引き込まれた。外で操るのもリアリティがあり、結構、表情豊かだった。唯一、人形の中で音声が聞きづらく、外部との差が気になった。 2メートルもある巨象の動きや表情には感動した。

開演のベルが鳴るとすぐに、現実から人形劇の世界に入り込めました。
 チビ象と白象の愛らしいこと♡クリクリお目目と本物の象かと思えるぐらいの動きに魅せられてしまいました。操作している人たちはどんな姿勢で動かしているのだとうと思いました。

これまで人形劇のイメージを払拭させてくれる作品でした。人形に命を吹き込み、まるで人間が演じているかのような錯覚を覚えました。白象の足の運びも不自然さがなく、動くたびにどのように動いているか食い入るように見つめていました。
 布を使って森や川を表現する場面は、とっても臨場感がありました。また、ギターとマンドリンの音色は時には優しく、時には激しく会場に響き、作品の世界にすっかり引き込まれてしまいました。

体力も気力も衰えた白象を救うために小さなポポが遠くの森に向かって必死に走り出し、白象の仲間の象をたくさん連れてくる場面が印象に残っています。
 マリオネットのポルトガルギターとマンドリンの音楽が効果的で臨場感を高めてくれました。

久しぶりの人形劇。子供に戻った気分で十分に楽しませていただきました。何よりも人形たちの動きがまるで生きているように細部まで表現されていることに感動しました。特にゾウが大きくて迫力がありました。話が単純で分かりやすかったので自然に笑いが出たり一緒に歌ったりできたことが、忙しい日々の気分転換になったと思います。

プーク公演は大好きで楽しみにしていましたが思ったよりも何倍も素晴らしかったです。
 子供の会員はいないと思うのですが、子ども達が観ると、とても喜んだろうと思いました。内容も良くて、虐げられた人々が力を合わせてたくましく生きていく様子や森の仲間達の友情など、心に残りました。

象の動きが素晴らしい。舞台演出、照明、音楽、みな素晴らしい。使用人たちを虐げていた守銭奴のオッペルが懲らしめられるという寓話の舞台を感動をもって楽しんだ。

衰弱して倒れた白象を森の仲間の象たちが救援に駆けるシーンがありました。その象たちがいくつかの光源からの光に照らされて、バックの壁に多数の象が走っているように見えました。迫力がありました。


(1)話の筋が素朴で明快。白象を助ける主人公が少年のポポであり、白象を慕うチビ象であることで、観衆の心にストレートに響いた。さらに現代社会のいじめや正義感に素直につながる。
(2)オッペル、象、百姓達の人形が個性があって素晴らしい。これを扱う役者さん達がどれだけ工夫と練習を重ねてきたのかが分かる。ポポが森を走り抜ける足の運びや、百姓達が稲を取り入れ運ぶ姿、溺れるポポを爺が助けるシーン等、音楽、照明、舞台装置含めた工夫が随所に見られ印象に残った。最後のフィナーレ、観客と役者さん達が一体となっていた。

とても良かったです。感動しました。人形の使い方も素晴らしいし、舞台の見栄えも美しく、会員の一人は涙が出て泣いてしまったそうです。次の機会を楽しみにしています。

美しい夢の中で見ているような人形劇で、自分が少女に戻ったか!と錯覚してしまう程、精巧な作品でした。まさに『大人の童話』でした。
 印象的だったのは、子どもが大人と一緒に働いていて『この子』ポポが、身の危険を救われた子供で、大人の搾取、被搾取される社会の中で素直に育ってゆく…ここいらが宮沢賢治自身の心なのですね。
 一方『白象』の別の世界に飛び込んで体験して分かったことは、体の痛みで重い鎖が苦しい、この事に気づく、搾取の鬼を恨むのではなく…

プークの人形劇は2度目です。人形の顔も個性的で観客に見せるためのものでした。期待に違わず人形の動きも素晴らしかったと思います。象の着ぐるみにも知恵を出した跡が感じられました。
 私の幼い頃に足踏み脱穀機が使われ、感慨もひとしおでした。私の記憶では、稲と秋豆(大豆)の脱穀に使っていたと思います。幼い頃を思い出しました。
 一番感銘を受けたのは、白象の最後の場面で「足枷をされたことは心にまで足枷をつけられていたことが分かった」今は自由であるとのセリフでした。私たちは少なくとも心にまで足枷をつけられることのない環境(人との関わり・物との関わり等)を作らねばならないと思います。白象さん、貴重な教えをありがとう!

まさに総合芸術だと思った。人形と人間が一体となった細やかな動き、ピッタリ合っていた音楽、照明の妙。どれをとっても素晴らしかった。飛び火する炎と燃え広がる火事の様子を赤い布で見事に表し、ポポを見送るコロスたちの視線の動き、所作の美しさ。白象をどうやって動かしているのかと考えるひまもなく、引き込まれていった。
 宮沢賢治の原作を大胆に脚色し、人間たちの思いやりや人間性無視への怒りもうまく表現していた。そして仲間の大切さも。「搾取と労働の疎外」という言葉が浮かんだ。宮沢賢治の世界観と微妙に融合していて、とても良かった。

まるで人形たちが生きているかの様な動きに完全に魅了されてしまいました。物語も弱い者たちが力を合わせて成し遂げる。その光景に色々な意味で、私たちに何かを訴えかけている様に感じました。

宮沢賢治の原作「オツベルと象」を原作そのものと漫画(ますむらひろし作)で先に自分なりに勉強をして臨みました。担当でもあるので、人形劇団プークの歴史やYoutube、インスタグラム、HPと多くを調べて例会を待ち望み、そして、「オッペルと象」を藍住と徳島で観劇。
 さて感想ですが、今でも心に残っているのは白象の潤んだ瞳(1幕最後の赤い涙)そして、2幕の白象と目が合った喜び。ポポの走る姿、木を渡っていく様に感動し、チビ象から水を貰う「あぁ頑張ったね(ポポも木のコロスの人たち、そして、チビ象)」と誰しも思ったことでしょう。木々をつたっていくシーンで流れてくる音楽のなんて厚みのある曲なんだろうと体全体に染みてきました。
 フィナーレでは、この2か月間何度も耳にしていた「森の仲間の歌」を一緒に歌い、客席との一体感になることの素晴らしさを実感しました。片付け終わりの藍住よりの帰路ではもちろん「ハイダ ダダダダダ!進め ハイダ ダダダダダ!進め」を大きい声で歌っていました‼

人形劇団プークの「オッペルと象」。人形が舞台でどのように表現するか?楽しみにしていました。役者さんたちの人形を操りながらセリフを言う、生き生きとした人形たち。白象の表現力に感銘を受けました。また、劇中歌「森のなかまの歌」に魅了され、コロナ禍の中、前に進みたいと心に響き、元気をもらいました。
 臨場感あふれる舞台づくりに感動!!

♪ハイダダダダ!進め ハイダダダダ!進め白象を助けるために森の象たちが行進する場面、思わず手拍子を打つ。周りの人たちも合わせてくれ、大きな手拍子の渦となった。舞台とフロアが一体となる瞬間!!これこそ生の舞台でないと味わえない感動!!また、ところどころに聞こえる月の声(セリフ)が心に残る。「白象よ、苦しいか、苦しいときこそよーく考えをめぐらすのだよ」まるで市民劇場に言われている様に思えた。音楽も生演奏と思うくらい良かった。何十年かぶりに感想を書きたくなったほど、感動の舞台だった。ポポにも再会できたし、プーク最高!!

2メートルを超える白象が生き生きと喜怒哀楽を表現し、臨場感あふれるものとして観劇者に迫ってきて心に響いてきた。傲慢な地主オッペルと虐げられて働く百姓の日常、ポポが白象を救うため、遥か彼方の森へ急ぐ場面、そして白象を救うため、仲間と共に白象のところへ向かう森の象たち。劇中歌「森のなかまの歌(象たちの歌)」は、迫力満点。圧巻であった。
 原作宮沢賢治のユーモアとヒューマニズム、又、劇団プークの上演時間が充実していた。皆さんの人形遣いの技のすばらしさに感動!!

百姓たちを酷使する傲慢な地主オッペルと新しい世界を求めて群れを離れた白象。オッペルの誘いに乗り白象は楽しく働き始める。そんな白象を警戒し冷たくしていた百姓たちが次第に白象と心通わせるようになるにつれ、オッペルは白象を「なにをしでかすかわからない」と恐れ始め、食事を減らして白象を弱らせていく。ここに権力者による民衆への弾圧を重ね見ることができる気がしました。それにしても、まるで生きているかのような人形の動きの細やかさもさることながら、少年が白象の仲間を呼びに森の中を走る場面での風や小川のせせらぎ、森の木々の様子や、火事の場面での炎の様子などを踊るように演じている劇団の方々の動きがちょっとシュールでとても印象深い舞台でした。

人形に魂があり黒子の人間が気にならず、せりふも聞き取りやすかった。しなやかな動きにより、風、火、水、川、木などの自然をうまく表現することにより、想像力を掻き立てられた。また、人形との掛け合い(言葉・しぐさ)が絶妙で団員同士のチームワークと練習の賜物ですばらしかった。特に「象」の表情には喜怒哀楽があり、心を打たれた。フィナーレでは、歌に合わせて拍手で会場が一体となり、みんなと共有する時間を持つことができて幸せだなぁと感動した。

今回初めての人形劇だったので、始まってすぐは黒衣がどんな動きをするのか目で追っていましたが、しばらくすると人形たちのストーリーに入り込んで全く気にならなくなっていました。劇中の海や風などの表現がとてもきれいで素晴らしかったです。

楽しく、素敵な舞台でした。 人形の完成度の高さに驚きました。演者と人形が一体になっていて、違和感なく見られ素晴らしく感動しました。
 白象の存在感は大きく、表情の一つ一つにまで気配りされていて、え~!と思う表情が何度かありました。
 象の大群が出てくるところ、びっくりすると同時にうまく工夫されていて面白いなぁ~と思いました。子供にも見てほしいと思いました。

白象とちび象がよくできていた。オウムもかわいかった。人形と俳優が一体となっていたのがよかった。歌やギター演奏もよかった。たまには、こういう劇もいいと思った。

白象とチビ象との動きなどがとてもよかった。感動しました。

とにかく白象がリアルで見とれてしまいました。布を使って水や炎を創り出し、照明によって幻想的な世界観を魅せていただきました。劇中の音楽は心地よく聴覚を刺激し、改めて演劇は総合芸術だと思いました。白象は新しい世界に馴染めなかったけれど、本来の居場所に帰ることができ、必ず輝ける場所があることを教えてくれました。ポポのおじいさんや白象の思いやる純粋な気持ちにうるっときました。少年少女合唱団の歌声で、会場全体が幸せな気持ちに包まれたように感じました。別の作品もぜひ観てみたいと思いました。

子供の頃の人間と動物(または、虫、さる、うさぎなど)に出てくるおとぎ話にあるように、象さんもその話につながったのでは。


(お)オッペルの何と悪そうなこと!人形劇では善良者か悪者かがはっきりしていて実にわかりやすい。だから子供も大人も安心して見ていられる。
(っ)辛い境遇にさらされている百姓たちの元に、ある日、新しい世界を求めて白象がやってくる。初めはオッペルに気にいられ、百姓の仲間には入れてもらえなかったが、それなりに楽しく働いていた白象。しかし、
(ぺ)ペナルティと言っていいのか、オッペルの言いつけで次第に食事のわらの量を減らされ、体力も気力も失っていく。
(る)ルンルン気分で村にやって来たはずの白象だったのに今では立つこともできない。「これからどうなるの?ここでもう死んでしまうの?まさか!」
(と)途中で火事が起き、老人を助けたことで百姓と意気投合でき、やっとみんなに受け入れられたはずなのに!私も安堵したはずだったのに・・・
   (さて、ここでちょっと物語はおいといて・・・)
(ぞ)ぞうの白象とチビ象のなんとよくできていること!中に人がいて動かしているのよね?しかも白象には二人でしょ?!息がぴったり合って、舞台の坂や階段を上手に歩いていましたよ。長い鼻も上下左右に動くし、尻尾も動いていました。人が入っているなんて思えないほど動きがリアルで、そしてまたなんとかわいらしく創られていたこと!すっかり白象の虜になって、倒れた時には真剣に心配しました。スタジオ・ノーヴァの美術スタッフの皆さんの気合いの入った象さん達、本当に実に見事でしたね。
   (物語に戻りましょう。)
(う)嬉しかったのは何と言ってもポポの働き。走って走って象の森までたどり着きます。その間、森の木や花や木の実がポポを助けます。そして最終章、象の仲間がポポと一緒に現れ、白象を助けることができました。 さて、ここに至るまでに舞台で踊られた青一色のダンス、そして赤一色のダンス、物語の合間で踊るダンサーたちの姿勢の美しさ。また、青や赤の布の揺れ動く様…照明さんや舞台装置さん、皆さんが一丸となって舞台を創っているんだという気概を見せられ、私はずっと目を奪われていました。歌もセリフも実に素晴らしかったです。2時間があっという間に過ぎ去っていきました! 帰りに白象のイラストが背にある黒のTシャツを買いました。これを着る度にあの優しくてかわいらしくて素敵だった舞台に、私は何度も思いを馳せることができることでしょう。本当に素敵な舞台をありがとうございました!
 追伸:「キネマの神様」のサイン入り色紙まで当てていただき、今回は幸せに次ぐ幸せでした。皆さん、ありがとうございました。

鳴門例会カーテンコール

このような機会がなければすすんで観ることはなかったであろう人形劇だったが、思っていたのと違ってとても良かった。 すすんで観ないというのは嫌いとか苦手とかいうのではなく、むしろ逆で「ひょっこりひょうたん島」や「サンダーバード」を始めとする昔の連続テレビ人形劇が好きすぎて、大きな舞台の上で人形が命を得たように躍動することがイメージできなかったのだと思う。
 人形遣いの確かな技術、細やかな心象を表現する照明や迫力のある舞台装置により想像力がかきたてられ、宮澤賢治の世界観を楽しむことができた。白象の心象は人形だからこそ表現できたのではなかろうか。
 労働者を搾取する強欲で悪辣な資本家が最後にやっつけられるというわかりやすい勧善懲悪ストーリーに見えて、それだけではない謎めいた深さも感じた。

ものすごくたくさんの抽斗がある作品だったが、そのひとつ、「白象の成長ものがたり」ということで考えてみた。白象は、何を望み、何に失敗し、そして何を学んで森に還っていったのか?“森”(自分の本来の居場所)の外の世界を見たい、そこには「何か」があり「何かできること」があるのではないかと夢想して一歩を踏み出す。大人への入口にある“少年”は皆経験することだろうし、大事なことだ。そして予想と期待どおり、「自分が役にたてそうな」場所としごとが見つかる。そこで、麻薬のような甘言「立派な大人は(時計を持っているものだ/靴を履いているものだ)…」の罠にはまり、白象自身の振り返りの言葉を借りれば「重い鎖で、心まで繋がれてしまって、他人のことを考えられないようになっていたんだ」。でもここは、お百姓さんのためを思って一生懸命働いたことに決してふたごころも罪もないし、間違いでもなかったと思う。しいていえば「オッペルの悪意」を見抜けなかったのが失敗だけども、そんなこと、純粋な“少年”に求めても無理だし、やはりすべては仕方なかったことで、自分で体験してものすごく考えて、そしてつかむことができた真実(自分の生き方、周囲との温かい関係、そして大人になるために必要なこと)のためには、通るべき道だった、無駄ではなかったという風に思えるようになった。
 「大人になるために大事なことは“象力”と“想像力”さ」と、チビ象に話す、クライマックスに近い場面での白象の台詞は、“象力”を“人間力”に置き換えればまさに人間にもあてはまる。
 圧巻の人形遣い、コロスや暗幕と光と簡単な道具のみで想像をかきたてる演出、マリオネットの演奏と澄んだ合唱の歌声などなど、そして底辺に流れる深く考えさせられるテーマ。すべてが素晴らしい総合芸術でした。でも、「白象」「ちび象」「ポポ」の愛らしさに、もう、理屈無しに首ったけになってしまったことが最大の印象かもしれません。

今回の「オッペルと象」は、私の中では ”ブラボー‼” という表現が相応しい閉幕での劇となりました。といきなりに、劇の最後の話をするのはいささか変ではありますが、何卒ご容赦の程を。かように、今回の”観劇”は、私にとっていつも以上に”感激!”だったのです。 さて、時間軸を開演前までに戻すとしましょう。
 開演前に場内の照明が落されて、段々と暗くなってゆくその瞬間に舞台の幕が開け切るまでに流れてきた陽気な音楽に誘われて、私の心もウキウキと劇が始まるのを今か今かと期待する心境にさせられました。
 そして、劇の幕が開けるや否や、その軽快で楽しい音楽と歌声の誘いを受けて、私は一気に劇中へと引き込まれました。
 その後、そのまま舞台へと視線を移して見入ると、各々の人形が非常に個性豊かな表情で作られており、その姿を見るだけでも私自身までもが心弾む思いにさせられました。
 さらに、劇中で繰り広げられたバックダンサーの踊りで表現された心情や情景等は、芸術の域に達しているような感銘を受けました。
 また、アニメ映画を観ているようなコマ送りでの人形操作は、人形というキャラクターにとてもマッチした演出と思いました。そして、その手法を用いることで、あたかも人形が生きているかのような臨場感あふれる動きに、新鮮な驚きでもって見ることができ、とても楽しい気分へと誘ってくれました
 この様に、大変楽しい人形劇でしたが、もう少し工夫や丁寧な作りをしてほしい事柄が二点ほどあります。
 先ず第一点目ですが、百姓たちが地主のオッペルにどの様な経緯で雇われるようになったかの背景情報を、もう少し丁寧に且つ詳細に劇に織り交ぜていただければ、観る側としてより一層理解が深まり感情移入できたのではないかと思います。
 次に二点目ですが、オッペルのペットであるオウムの演出です。テレビドラマや映画等で、お決まりの様に悪役の傍にペットを配置し、そのペットが主の言動を真似て言いふらすシーンに酷似していて、斜に構えた見方をすると、この演出には人形劇団プークとしての独創性を、もう少しまぶしてほしかったとの気持ちを抱きました。ですから、その点が少し残念だったかなと思います。
 とまぁ、少し辛辣な意見になりましたが、全体としては大人も子供もともに楽しめる人形劇であったことは否定のしようがありません。
 ところで、最後はオッペルが改心することも無く、逃げ去るという形で幕は閉じましたが、それとは別に今回の人形劇には非常に示唆に富んだ内容を包含している、言わば哲学的な啓示を含んでいるようで、今一度自己を振り返る機会を与えられた気がしました。その理由は、この人形劇から私は三つのメッセージを受け取ったように感じたからです。それは、「共助」、「自由の尊さ」、そして「他者の立場に立って思いやる想像力の大切さ」の三つのメッセージです。
 まず「共助」について、これは言い換えれば「思いやり」や「助け合い」、あるいは「共感力」といったことだと思います。それは、劇中でのオッペルの ”我さえ良ければよい” という自己中心的な精神構造とは対極の立ち位置かと思います。そこで、私が置かれている現実の世界を見渡すと、コロナ禍が長引く中で人々の心がささくれ立ってきており、心の余裕を見失っている姿が目に浮かんできます。例えば、コロナ禍では ”非寛容” が増長され、その象徴とも言うべき「自粛警察」なるものは、その最たるものかと思います。その観点から考えると、オッペルは「反面教師」としての役割を担っていると捉えることができ ”人の振り見て我が振り直せ” とのメッセージを私に与えてくれたのかも知れません。
 一方で、昨今の”プロ経営者”などともてはやされて自惚れの強い経営者から発せられる社員を一人の人間として尊重しない思いやりの欠片もない高圧的で傲慢な言葉とオッペルの劇中での冷酷なセリフ回しや立ち振る舞いとが重なり合って、実社会で見聞きする現実に何とも言えない悲しさと憤りを覚えました。
 二つ目のメッセージである「自由の尊さ」は、白象の足の重り(足枷)が取り外された時に感じました。これは、私が日々の生活を送る上で無意識に縛られている足枷(世間体、拘り、他人の目 等々)の束縛からの解放を意味するものと受け取りました。とは言うものの、それらから完全に解き放たれて自由気ままに生きてゆくのは、現世では困難極まりないことは事実でもありますが…。
 今回の人形劇から受け取った三つ目のメッセージは「他者の立場に立って思いやる ”想像力” の大切さ」です。これも前述のオッペルの生き方とは対極に位置するのですが、それでもこのメッセージの意味するところを各々の状況に応じて適切に汲み取るには、非常に高度な感性が必要と思いました。例えば、劇中でも表現されていましたが、白象が良かれと思って行ったことが、逆に相手(百姓)にとって迷惑である場合もあるという事です。この演技を観て、人の心の機微を読み解くのは非常に難しいことだなと、改めて思い直しました。そこで、私が今置かれている状況を振り返ってみると、例えばコロナ禍でのリモート等での人と人との直接的な接触が無い環境下では、実体験が伴わないので、相手の表情や声のトーンから心の内を推し量る能力が育たないのではないかとの危惧を抱いています。その上で、実社会での日々の暮らしの中で遭遇する様々な嫌な出来事、例えば、職場や家庭内などでの嫌がらせ(ハラスメント)、SNSやネット上での誹謗中傷、家庭内暴力(DV)、そして児童虐待や介護虐待等々、それらを自分自身に関係ない他人事として目をそらすのではなく、我が事として捉えることが出来る ”想像力” が、私たちが生きてゆく上で今後より一層必要となってくるのではないかと感じました。そして、この人形劇から感じ取った種々のメッセージを、私の内面で育成して少しでも成長させることが、劇の終盤で表現された笑いに包まれた世界観を、現実社会での ”共生社会” へ向けて具現化することに繋がるのではないかと思いました。

最初人形劇と聞いて、人形をどうやって操るのだろうと思いました。まず思ったのがマリオネットのように糸で高い所から操るのか?と…
 実際、始まってみると浄瑠璃のように、黒子のような人が後ろでしゃべりながら操っていて、そうなのか!と思いました。 ストーリーはシンプルでわかりやすかった。
 白象に入ってるのは1人かな2人かな、小象はまちがいなく1人だろう、とか想像しつつ、波、風そして遠い道のりの表現も素晴らしいなと思って観ていました。

今例会、藍住、徳島両方で観劇した。
 15日藍住町ホール、2階席中央近く。後ろから2列目であったが、ステージ全体を把握するには程よい距離感、しかも少し上から俯瞰する感覚が心地よい。音響の具合も快適だ。ステージ上の風や波、炎の表現も照明の妙とともに、いい塩梅で視覚に訴えてくる。人形たちの動きを全体像として把握できるのもいい。客席の手拍子もタイミングよく盛り上がり、ともに舞台をつくりあげている実感を強く感じる。
 17日あわぎんホール、前から3列目中央。
 至近距離の人形劇は、発見の連続だ。「ジン」を操る柴崎さんは、両手両足を駆使して人形を操作し命を吹き込んでいる。歩く時、右つま先を使って人形の右足の位置を決め、次、左つま先で左足…、といった具合。立ち止まる時は、まず、つま先で足の位置取りをし、次に手を使って膝の位置決め、腰の重心、上体…といった具合で、立ち姿を作っている。まさに熟練の技。筋力、体力も相当のものかと。
 このようにマクロ、ミクロ両方の視点で楽しめるのも、「市民劇場ならでは!」と実感した。

とても楽しくてワクワクドキドキしました。初めはスタインベックの「怒りのぶどう」みたいな話だな!と思っていたけれど、象の行進の場面を見て小学校の体育館で観た演劇の公演を思い出し、童心にかえって楽しむことができました!

象と農民が協力して傲慢な地主のオッペルをやっつけるというわかりやすい勧善懲悪の物語だが、原作があの宮沢賢治、深い意味があるのだろうと思いながら観た。
 宮沢賢治が生きた大正から昭和初期、東北の農民は貧困と戦っていた。オッペルは農民から搾取する地主の象徴であるが、象はいったい何を意味するのか。宮沢賢治は、代表作の「雨ニモマケズ」のイメージから貧しい家庭で育ったと思われがちだが、裕福な家に生まれている。その賢治が、困窮を極める農民たちに何の力にもなれないというジレンマから体制を壊してくれる存在として「象」を造り出したのではないかと思った。
 現社会においてもオッペルはいたるところに存在し、パワハラ、セクハラ、モラハラ等々、様々なハラスメントとして見え隠れしている。私が会社員だった頃、毎年、コンプライアンス研修、マネジメント研修が開催され参加していたが心に響くものはなかった。
 そこでふと思った。この「オッペルと象」を研修に取り入れてはどうかと。社員に劇を鑑賞してもらい、オッペルの行動を考えてもらう。百姓たちとどのように対峙すればよかったのか。白象と百姓が手を結ぶことを恐れるあまり、白象への餌を減らして力を奪うという手段をとったが、どうすればよかったのかを考えてもらうという内容で行えば、参加者も楽しみながら学ぶことができるのではと愚にもつかないことを思ったりもした。

白象が登場してすぐに首に時計、足に足かせをはめられたところで、誰もが思うようにこれは、様々なものに縛られている私たち観客のことを示しているのだろうと、私も思いました。ですから白象は、私なのですね。
 この劇が誕生したころとは社会は異なっていますが、機嫌よく働いているだけなのに隙をみてはいろんなものを奪い、徐々に弱らせていき、最後には餓死させようとする、今まさにそういう社会だよなぁ。と思いながら観ていました。
 しかしながら、結末で知りました。鎖で縛られていたのは体の自由ではなく、心の自由であり、他者に共感する心でした。機嫌よく働いている一方で心を無くしていく。
 縛られていることで、他者への共感、思いやりを無くす、それこそが鎖を用意したものの目的でした。 今は思いもかけなかった新型コロナ禍で在宅勤務が推奨されています。これは鎖ではないですがネットという目に見えない網に縛られている状況です。それはそれなりに快適で、まさに機嫌よく仕事しているんですが、たぶん働く仲間同士の共感や連帯はどんどん無くなっているんだろう。それが働き方改革の目的か、と気付かされた時間となりました。
 さて、明日からどうしましょうか。

アートキャラバンのアンケートより

人間と人形が一体になって素晴らしかった。象(大・小)の動きがとても良かった。

人形劇なので、もちろん人形なのですが、不思議と表情まで感じるようになりました。

人形劇は初めて観ました。主人公が象だし、人形だということで、どうなるんだろう?と思う気持ちもありましたが、始まってみると劇に見入っていました。いつもの舞台と同様に感激しました。

作者は未来を予測した原作だと思った。 子どもと象が出てきてほっこりした。 今の大人がしっかり考えなければ…と思った。

宮澤賢治、すごいなーと感心!! 脚本もいい!!

生の舞台からは熱量がダイレクトに伝わってきて、心に響くものがあった。

心温まる時間になりました。

素晴らしかった。このタイプの劇は観たことがなかった。とても良かった。

人形劇のおもしろさを充分味わった。子供達や若者にみせたい。

人形の動き、象の鼻どれもが繊細な動きをされ、心に響いてきました。 オウムも全体を引き立たせる良い演出でした。

とても面白かったです。人形が生きているようでとても感動しました。

白象、ちび象がよくできていました。

照明と美術に感動しました。ちび象がかわいかった。

シンプルな内容ですが、大変心に染みました。また観たい。

人形一つ一つの表情が感じられた。 人形の使い方もすごく上手でした。

すごくよかったです。

とても不思議で素敵な空間でした。ブルーがとってもきれいでした。白象の動きや表情もグッときました。他の皆さんの動きや歌もとても良かったです。Fantastic!

見どころ満載の素晴らしい劇でした。ありがとうございます。ポポと共に元気をいただきました。

時間を忘れるほど楽しかった。

音楽に乗って、楽しいひと時をありがとうございました。

等身大の人形劇は初めての体験で、人物の喜怒哀楽がデフォルメされて、一層心に響いた。 子どもの人形劇は何度か見たことがあったが、宮沢賢治の大人のための人形劇は初めてで、とても良かったと思う。

引き込まれました。また観たいです。

劇団プークは初めてで、感激しました。 森へ向かう子供の動きが素晴らしかった。

人形の動きがとてもリアルで、感動的でした。

楽しかったです。

大変奇抜な着想で驚きました。

大変良かった。 夢をもらった。

白象とチビ象のビジュアルに圧倒されました。プークの益々のご発展をお祈りします。素晴らしかった。ワクワクしました。

人形と人が一体になり、素晴らしい動きをしているのに驚きです。動きのない顔の表情まで変化しているように見えました。赤い布を使ってうまく火の表現も出来ていた。
 川の水や木々の表現もよかった。
 テーマも素晴らしく、心に響いてとても良かったです。

宮澤賢治…すごい!!と感心!!

大人のメルヘン、ファンタジーでたいへん面白かった。

人形の動作が大変良かったです。

炎などの自然の表現がとても良かった。

プーク公演30年振りに観ました。感激!!

プークの公演を観たのは初めてなので操術も興味深く観ることが出来ました。

表現力のすばらしさに驚きました。

象の動きが素晴らしい。舞台がキレイ、音楽もよくマッチしていた。白象の純真さに感動した。

大変感激しました。
 人形の動き、とても良かったです。

等身大の人形遣い、表情動作、感情表現に感動しました。

音楽が良かった。楽しめました。

すべて良かったです。ありがとうございました。

とても良い作品。人形と演者が一体化していて、素晴らしかった。子供にも観てもらいたいなあ。

市民劇場の例会は、毎回異なるジャンルで、異なる感激があります。今回も、人形劇団プークの圧巻の演技に感動しました。子供が楽しめる側面があり、他方、重く深く考えさせられる宮澤賢治ならではの内容に、今でも余韻を楽しめています。

象が可愛かった。でも深いと思いました。

人形と演者が一体となって演じているところがとても良かったです。
 特に象の細やかな動きにとても感動しました。ポポが森に入って白象の仲間を探しに行くとき、川の水を飲んだり、木の実を食べたりした演出にとても感動しました。

人形と遣い手の一体感、コミュニケーションが感じられ、大変感動しました。ありがとう。

大変面白かった。

象の動き、足の運び、鼻、尾などの動きが素晴らしい。

人形の動きに感情が入っていて、人との一体感が素晴らしい。

劇の長さもちょうどよかった。

感情がよく出ていました。感心しました。仲間の大切さを有難う!

白象が死ななかったことがよかった。

毎回、俳優さんたちの演じている姿に感動させられます。生で観劇してみて、初めて肌で感じました。何といっても声が素晴らしい。コロナに負けず頑張っていただきたいです。

ドレープ性の強い衣装が印象的である。農夫の6人も個性的で楽しい。オッペルがいかにも悪人顔である。他の人の顔の造りも個性的であった。

人形劇は初めてです。

人形劇ということで、どんな感じなのかわからないで見に来た。はじめは黒子さんたちが気になり、そちらの方ばかり見ていた。けれど、だんだん「お芝居」「ストーリー」に惹かれて、人形たちが本当の人間のように見えてきた。
 どこの世界にも支配する人、される人、そんなことのない平等で平和な世界が来ることを望みます。

人形劇ということで、子供向けかと思っていたけど、思ったより見ごたえがあった。象がよくできていて、びっくりした。

鳴門例会カーテンコール

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。