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キネマの神様

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場公演

鳴門市民劇場7月例会
 2021年7月11日(水) 感想集


鳴門例会カーテンコール

願い続ければきっとその思いが通じる、かなえて下さる神様が必ず存在するんだ。今の暗い社会に灯りをともしてくれた。元気の出る舞台でした。コロナ禍の日々、ともすれば悲観的になり巣ごもり生活に甘んじてしまいそうな生活。とても前向きになりそうなパワーをもらいました。
 ITをうまく取り入れ、場面構成にすごく工夫された演出に新鮮な感じがしました。

鳴門にはかつて映画館が5、6館あった。テレビがまだ各家庭に普及してない頃で、2本立てというのもよくあって両親が観に行っていたものだ。私が中学生の頃は休日に運動場に集まって集団で観に行ったこともあった。映画が生活の中で一番の娯楽であった時代、「キネマの神様」のゴウもかつては映画界の中にいた人で映画を愛してやまない人で映画評論も的を得ていると思う。 折しも、映画「キネマの神様」が山田洋次監督で公開されるとか。演劇と異なって、スクリーンの中ではどう表現されるのか見てみたいものだ。

青年劇場のスタッフの皆さん、梅雨末期の豪雨の中、大きく立派な舞台装置ありがとうございました。また、ローズバットさんからの返信が翻訳されたメールを読めるように映してくださってありがとうございました。
 人情にあふれた作品で、最もよかったのは吉村直さんが主役を演じられたことです。太い声で堂々とされ、情緒たっぷり、ひとすじの人生が表現されていました。

冒頭、「ゴウちゃん」の声量の大きさにびっくりしました。そしてキネマの神様がいるとの過去の事例から信じ、そして何をしても神様が助けてくれると信じての物語の発展を22(確信はないが)シーンで進めている。圧巻なのはゴウとローズ・バットのやり取りからお互いに尊敬の念が生まれる、感動的な内容に拍手を送りたい。人は戦いの中でも尊敬・信頼が生まれる。私たちの人生の不思議さに気づかされるお芝居であった。
 青年劇場の皆様ありがとうございました。

とても面白かったです。吉村直さんが良いアジを出してますね。
 前例会では、2階席で観ていたので気にならなかったのですが、今回1階中央で観ていたら、お隣さんと席が近いのが気になりました。まだ、やっぱり心配です。

映画好きを自認している自分だが、「七人の侍」の「米」の意味をあそこまで突き詰めて考えていなかった。その評論のたたかいが面白かった。何の世界でも「極めること」はむずかしいが、それだけに楽しみも多く、もっともっとと研究したくなるところは、とても共感できた。そして、その交流を通して、映画への愛が互いに深まり、反感から友情へと至ったストーリーは胸を打たれた。 SNSによる誹謗中傷、人権侵害が絶えない現代にあって、青年劇場がめずらしくネット社会に材をとり、よい意味で活用することの重要性に気づかせてくれた。
 いま、自粛して、映画を観る本数も減っているが、改めて映画を観たくなった。特に8月公開の山田洋次『キネマの神様』、芝居とはかなり違うようだが、楽しみだ。

映画が公開される前に、俳優さんが「ぜひ劇場に足を運んでいただいて観てください。」というお決まりの文句がある。私はこの意味をよく分かっていなかった。3か月もするとDVDなるものがレンタルできるのに、どうしてわざわざ映画館に行かなければならないのか。しかし今日の「キネマの神様」の舞台を観て、その意味を理解した。映画を愛する人々が映画館に集まって観ることの意味は、同じ空間を共有するすることだったのだと。
 偶然見つけた父親の映画評論が、海を越え、そしてローズバットという友を得るという、それまでの過程が笑いあり、涙あり、怒りありで、とても感情が揺さぶられた。 作者の原田マハさんのお父さんをモデルにした物語だったというのも、この作品に引き込まれた要因だったのかもしれない。
 映画館のセットが一部ネットカフェになったり、映写室が回転したりと大掛かりな仕掛けがあったのもとても楽しめた。舞台のスクリーンの中に会場の客席の様子が映し出された。舞台の俳優さんたちは座席に座って、客席に向かって拍手をしている。会場が一瞬ライブハウスのように一体となった。これが演出家藤井ごうさんの演劇は、舞台上だけでなく客席をも巻き込んで場を共有する媒体である・・・ということなのか。8月に映画版「キネマの神様」が上映されるが、もちろん映画館で観るつもりだ。

私は小学生の時、父に連れられてよく映画館へ行きました。兄弟が多かったのに私だけ特別に連れて行ってくれたことが今も鮮明に浮かびます。何故かというと、妹はおねだりしても静かに映画を見ず、私は我慢しておねだりしないので連れて行くのだと後で知りました。昔も今もよく食べたり飲んだり、それが一番の楽しみでもあり喜びでもありました。今みたいに好きな時間に映画を観る。「キネマの神様」を観て、昔の白黒も時代劇も懐かしく思い出されます。最後は少し心にしみました。

昔と言っても若い頃ですが、映画館に行くのが一番の楽しみでした。テレビも無い時代、今は大道も寂しくなりましたが、映画館がある時は街も明るく人通りもありました。店も夜遅くまで開いてて、よく入ってうどんとか食べたものでした。人情も厚く顔なじみの人とかに会うと懐かしく立ち話もしたものでした。人との交わりの場でもあった映画館、懐かしく思い出しながら観劇しました。とても良かったです。

あわぎんホールで妻といっしょに楽しく観劇しました。

どんな舞台だろう、と観に来ました。なかなかついていけませんが、楽しく観せてもらいました。

映画を愛する人たちの人間味溢れる絡まりは、とても心に響き、心温まる気持ちのいい舞台であった。メールの発信にも四苦八苦のゴウ老人が、世界の映画ファンを巻き込んで、潰れかけた名画座を復活させる展開は痛快でグイグイ引き込まれていく。人間なにごとも真っ直ぐな心てやり抜くことが大切と教えてくれる。 舞台演出も斬新で、奥行きと広がりがあり見た目に楽しい。非常にアクティブな舞台の最後に流れたニューシネマパラダイスの美しい主題曲がまたシビレル。最高のヒューマンコメディーであった。

最初はコミカルな展開を「分かりやすい話だな」と思いながら気楽に観ていたのですが、話が進むにつれ、複雑に絡み合う感動が胸に押し寄せてきました。自分は何に感動したのか、整理したくて感想文を書いてみました。
:好きな事って、夢中で続けていると人を喜ばせる域に達して、そうすると周りの人がどんどん力を貸してくれて、より大きな舞台を用意してくれ、あれよあれよと発展していくこと。
:人生の失敗とか成功は、外から見た客観的なものではなくて、本人がどう感じて生きているかが大事だということ。
:主人公のゴウ爺さんがネットカフェで一生懸命にメールを打っている姿を見て、人間、物事にチャレンジするのに年齢は関係ないということ。
:今の世の中、ネットの世界を使ったら限界というものがなく、とてつもなく大きな力を生み出すことがあるということ。
:人生の最後に一度も直接会ったことのない人を「無二の友」と思えるのはスゴイ。言葉のやり取り、対話は大切なことだということ。
:そして、実は自分はここに一番感銘を受けたのだと後で気付いたのですが、名画座を守りたいと奮闘する登場人物たちと、鳴門市民劇場の皆さんが、市民劇場を守りたいと奮闘する姿が重なって、余計に感動したのだと思いました。自分も、市民劇場の皆さんを見習って、もっと自分の置かれた場所で力を出し尽くしたいと素直に思いました。いつも、運営活動ほんとうに有難うございます。

舞台が凝っていてすばらしかったです。映画の評論についての中身が深くて引き込まれました。

最初から最後まで楽しく観させていただきました。最近では自宅でDVDなどをひとりで鑑賞する人が多くなっていますが、映画や演劇は大勢の人がいっしょに泣いたり笑ったり、また感想を言い合ったりできるところが素晴らしいんだと、改めて感じました。
 席が後ろの方だったせいか、登場人物が時間の経過につれて服が変わるので話が分からなくなったと言ってる人がいました。顔がはっきり見えないので服で判断しているのでしょうね。

私も映画が好きです。幼少の頃よく父に連れて行ってもらったのを覚えています。物語はとても分かりやすく引き付けられました。

淡路島にも昔は沢山の映画館があり、私も中高生の頃はよく映画を観に行ったものです。今は唯一「オリオン」という映画館が残っているのみです。今回の「キネマの神様」を観て「オリオン」さんのことが頭に浮かび、イメージを重ねていました。映画の灯を消さないように頑張っている人たちを応援したいと思います。
 すべての俳優さんの演技に個性と重みがあり良かったです。

会場も藍住町総合文化ホールに変わって2回目の例会。会場は新しくてきれい。段差も緩やかで移動がしやすくて快適。少々遠くなったのが難点ですが慣れてくると遠いなーと思っていたのが、そう思えなくなってきています。ただ、夜の行事だったのが遠くなって出発時間が早くなり昼間の行事に食い込んできて困ることが多少あります。
 キネマの神様の感想ですが、人生ってちょっとしたきっかけで方向が変わっていく。それが面白く、また変化に富んで退屈しない人生となっていくのですね。少しでも良い方向にむいていけるように工夫と努力が必要と思います。

私は東映のチャンバラ映画育ちです。鳴門にも映画館がいくつもあり、毎週3本立て封切でした。昔の芝居劇場〇〇座の花道も、畳の席も、落ちそうな2階席もそのままで映画館に変わり、そこに「ゴジラ」も来ました。「キネマの神様」の途中から、懐かしい出来事や思い出で胸がいっぱいになってきました。パソコンはおろかスマホも使いこなせない自分がちょっと寂しく感じられ、「もっと頑張れ!」と背中を押されて𠮟られてるような気分にもなりました。
 親戚が、東京の映画館のオーナーだったので毎日毎日映画鑑賞。もちろんお金なんて払ったことなかった。大人になってからは洋画。若かったというより体力があった。高倉健さん4本立てオールナイトなんて平気だったものネ…。
 婆の愚痴になってしまいました。

昔懐かしい昭和の時代を思い出す名画座「テアトル銀幕」の舞台セットだった。私が子供の頃、鳴門にも似たような映画館がいくつもあったことを思い出す。東映、日活、朝日座…。そこで時代劇や青春映画の3本立ての映画を親戚や家族とワクワクしながら観た思い出。帰りはアイスクリームや中華そばを腹いっぱい食べさせてもらった幸せな時間がフラッシュバックした。今日は、そんな懐かしく幸せな2時間30分であった。

青年劇場の皆様とお会いできるのは3年ぶり。待ちに待った舞台「キネマの神様」。
 原作原田マハ、脚本高橋正圀、演出藤井ごうの作品だ。この高橋・藤井のコンビで製作された作品。面白くないわけがない。
 高橋正圀さんとタッグを組んだ青年劇場の舞台は過去に沢山ある。「遺産らぷそでぃ」、「愛が聞こえます」、「菜の花らぷそでぃ」等々。社会派人情喜劇の名手高橋氏が青年劇場のために書き下ろした作品。どれを観ても心に染み入る作品ばかりだ。
 今回の舞台は吉村直さん演じるゴウさんと杉本光弘さん演じるリチャードの友情が見事に描かれた最高の舞台だった。青年劇場「命」と信じつつ長い間応援してきた「翼サークル」。今日、ここ鳴門市民劇場で復活です。よろしく。そしてありがとう、アリガトウ!!

劇が始まり、ごうの開口一番の心のこもった台詞を聞いた時、素晴らしい劇の予感で身がしまる思いがした。そして、コロナ禍の大変な中、演劇をされてきたお一人お一人の演じる喜びや真剣さが伝わってきて、感動的であった。洗練された演技力、舞台装置、音響等々よかった。
 久しぶりの観劇であったが、これからも観続けたいと思ったことであった。

映画が好きで、名画座で昔の映画を観るのが好きな私にとって、映画の話というだけでワクワクと期待せずにいられない例会だった。
 今回は、あわぎんホールでの鑑賞になったが、私が好きな一番奥の真ん中でゆったりとした気分で鑑賞。映画音楽満載で、映画館のロビーは馴染みの風景で、役者のセリフに笑ったりして、映画の話には、「うん、うん」とうなずいたり、「そうなんだ、また気にして見てみよう」とか思いながらどんどんお芝居に引き込まれたと思った瞬間、「あ、青年劇場だった。だったら面白いのは間違いない筈やね」と自分で納得。
 舞台セットは去年から廻り舞台とは聞いてはいたが、まさかの両サイドが廻るとはびっくりして、最後にはゴウちゃんが走って階段を上がるのに合わせて回すという凄い技に思わず拍手。美しい照明にも感嘆。
 ここからは、藍住のホールで知ったこと。ゴウちゃん役の吉村直さんの声が舞台上は非常に高かったのですが、ロビーに来た時には「みすてられた島」の島長の声だったので、役者って声も大変なんだと思った。最後のシーンしか藍住では観られなかったけど、2階席の一番奥でもしっかり聞こえる台詞にもびっくり。
 そしてあわぎんホールと同じように私は「ニューシネマパラダイス」のテーマを最後まで聴き、鳴門に帰るまで、私の頭の中では曲が流れていた。

鳴門例会カーテンコール

どういうわけか、冒頭の「歩さん」の独白から、私はもう目頭が熱くなってしまっていた。『劇場を埋め尽くした村の人々が、笑ったり、泣いたり、怒ったり、観客の間に不思議な連帯感が生まれるのがわかる。映画館とは、そういう場所なのではないか。同じ時間と体験を共有する。わっと盛り上がってやがて静まるお祭りのような場所。私たちはDVDの手軽さに慣れてしまって、どうやらお祭りの感覚を忘れてしまっているようである…。もちろん名画はどこで観たって名画だ。けれど夏の夜空に咲く花火を、家の狭いベランダからではなく、川の匂いと夜風を感じる川辺で見上げればひときわ美しいように、名画座で観れば、それはいっそう胸に沁みる。名画は、大輪の花火である。それを仕掛ける川辺がいま、失われつつあることを私は惜しむ』なんともはや…。昨年から今に至るコロナ禍での演劇にもスポッと入る言葉ではないか…。私たちは去年、約8ヵ月もの間、ナマの舞台に触れられない期間を過ごした。その間に「配信演劇もあるじゃん」ということで、部屋の中で小さいスクリーンで劇を観たこともあった。ともすれば「これからはそういう時代になるかも」という考えにも触れた。でも。映画(そして花火)と同じように演劇も「五感」で感じたい、それでこそ価値がある。そういう思いも、この間に強くした。そのことが冒頭の「歩さん」の独白に見事にシンクロしていきなり胸が一杯になった。
 そして、全編を観終えてのこの気持ち。なんだろう?どうしてこんなに幸福感を感じるのだろう? 考えてみた。 (運営担当だったので)「みんながつながって奇跡が起こる物語」…と紹介してきたが、冷静には、そのいずれの“奇跡”も「まあ、無いよなあ」と思うことばかり。でも、それでも、登場人物全員が(嘘のような奇跡を)ホントに起こす人たちかもしれない…と思わせるほどに魅力的で、加えて、素敵な演出と演技で現実味も加わって。結果、「まあ、無いよなあ」と思う世界に私はまんまと引き込まれ、本当に幸福な気持ちに到達して、温かな涙を何度も流すことができた。
 今、『演劇の神様』もきっといる!という思いを強くしている。

軽快なテンポ、そのままの劇でした。楽しめました。次回は「翼をください」を観たいです。

売り子の男の子と登場人物とのやりとりが面白かった。最後は売り子が“学習”できて、女の子が“被害”にあわなくてよかった!

「泰山木の木の下で」のようなじんわりと時が流れていくようなお芝居もよかったですが、「キネマの神様」は名画座というレトロな存在と、ネットで海を越えてつながりあうという世界観がうまくマッチしたスピード感のある構成で、生の舞台の魅力を感じました。舞台が転換してもセットの中心はずっと名画座で、正面の客席入口は人が出入りするたびに中の音楽が聞こえてきて、ロビーが生き生きと浮かび上がってきました。お客さんも一緒に名画を観ているという最後の演出も素敵でした。
 「夢を持ち続ける人々が織りなす奇跡の物語!」というキャッチフレーズでしたが、奇跡が起こったというより、皆の力で引き寄せた「希望の物語」と受け止めました。「あなたにはここまで好きな、夢中になれることがありますか?」と問いかけられているような気がしました。
 ひらがなしか打てなかったゴウちゃんが、ネットカフェの若い店員を徐々に味方につけていく「巻き込み力」には感服です。ゴウちゃんにはローズ・バッドに会わせてあげたかったですよね。

青年劇場公演の「キネマの神様」では、数えきれないほどの「初めての経験」を持つことが出来、驚きとともにとても感動しました。そして、これから私の驚き感動した数々の事柄を披露するにあたって、今まで以上の長文となりますことを、予めご了承並びにお許しいただければと思います。それでは、私の「初めての経験」で、心から味わった驚きと感動をお披露目致します!
 今回初めて運営担当を任され、劇団員の方々との舞台セットの搬入作業という今まで経験したことのない楽しい時間の共有を果たすことが出来ました。そして、舞台裏を覗き見ることで、観劇を鑑賞し始めて初めて目にした大舞台セットは感動そのものでした。併せて、その搬入作業で劇団スタッフの人数の多さにとても驚きました。この様に表立って目にすることのない裏方の緻密な作業によって劇は支えられているとの認識を新たにしました。日の当たり難いスタッフが居てこその演劇運営で、これは会社も同じとの考えに至りました。更に、「青年劇場」という名は体を表すと言うが如くで劇団名の反映かも知れませんが、主役以外の多くの配役の年齢層がとても若くて驚きました。その上に、今までの観劇では目にしなかった登場人物の設定の多さにも、二重の驚きでしたね!
 次に、ユーモアに富んだ幕間のミニコント風の観客を飽きさせない演出にも私は驚きが隠せませんでした。これには、いわゆる「コーヒーブレーク的要素」が含まれていると思い、次の場面への心の切り替えを誘うには、とても効果的な手法と思いました。そして、物売りの喋るセリフの中で映画スターの名前を忍ばせ、この劇とシンクロさせている点も見逃せないなと感じました。
 また、映像と回転舞台を使い分けた多岐に渡る空間演出にも目を見張るものがあったと思います。この複雑な舞台設定も、今までに経験したことのない驚きに満ちたものでした。
 そして、特に最後の演出での配役の方全員による観客席を向いての演劇形態は、私にとってはとても斬新な舞台設定で、これも驚きと感動を私にもたらせてくれました。
 その他、例えばネットカフェの店員さん役の方がOLや女学生を演じることで、一人の劇団員が何役も演じることによって劇中の配役の広がりを生んでいたのにも驚きを持ちました。
 そして、演出家のちょっとした拘りなのかも知れませんが、ネットカフェの新米店員さんに初心者マークを付ける何気ないけれども細かい演出、そして技能もアップして初心者マークを外すことで新米店員からの卒業を意味する演技等々、ちょっとした細かな演技の中にも作り手の拘りを感じ取ることが出来ました。
 それとは別に、さりげない心遣いとも言うべきでしょうか?あるいは、サービス精神旺盛な演出とも言うべきかも知れませんが、鳴門名産の鳴門金時や海産物を役者のセリフの所々にちりばめて、徳島へのサービス精神を大いに発揮していた点にも心憎い感動を私にもたらしてくれました。
 最後に、芸術(演劇、音楽、絵画 等々)を楽しいことは楽しいと掛け値なしに純粋に楽しむことが大切とのメッセージを、この劇から私は感じ取りました。と言うのも、人は周りから称賛されると、普通の見方をすることは己自身の立場に相応しくないといった誤解を生じるのかも知れません。そうすると、物事を斜に構え、裏を読むように物事を受け止めるようになるのが一流の証などという自己欺瞞に陥るのかも知れませんね。そして、自分自身を他者よりも優れていると見なしたいが為の承認欲求と自己顕示欲が雪だるま式に肥大して行くことは、想像に難くありません。それが正しく、晩年のローズ・バットの姿だったのでしょう!
 しかし、ローズ・バットが死の淵に立って、ゴウとの丁々発止のやり取りの中から、かつて少年時代に映画評論を投稿した時の純真な目で見た映画の楽しさが大事だという事に再び気付いたことは、彼にとって冥土へ旅立つお供としてのとても素晴らしい土産となったのではないでしょうか?正しく「神のご加護」があったものと、私は感じ取りました。そして、ローズ・バットが純粋に映画の楽しさに再び向き合えたのは、ゴウの存在あってのことだと思います。そして、これが真のライバルの姿なのだと思いました。
 今回の「初めての経験」では、劇団員の方々との触れ合いが私にとっての一番の宝物になったと思います。今後演劇を鑑賞する際にも、この驚きと感動を忘れずに、そしてゴウの様な純真な目で楽しみたいと思いました。この度は、貴重な経験に触れる機会を与えて下さった劇団員の皆様のみならずサークルの方々に深く感謝申し上げます。

どこにでもありがちな「再開発の波」
 その波に巻き込まれた者は必死にもがき苦しむ。
 それぞれが自分自身の抱える問題や悩みと向き合いながら、同じ目標に向かって支え合う。
 きっかけは1通のメール。
 いつしかローズ・バッドとの友情にまで発展していく。
 さわやかな気分で観終わることができました。
 また、開幕前ロビーで劇団の方々と対面することができたのはとても印象的でした。

名画座「テアトル銀幕」を舞台に繰り広げられる人間模様。主人公ゴウと娘の歩を中心とした人と人のつながりが織りなす奇跡の物語。涙あり笑いありの見終わった後に心に温もりを感じるそんな作品でした(登場人物たちは皆、基本的に良い人でした)。主要人物たちの演技もさることながら、物売りの男やゴウが通うネットカフェの店員など端役の人たちの演技も細かく楽しく、3時間近くの長丁場の舞台にもかかわらず、全く飽きさせることのない遊び心に溢れた舞台でした。

家族に迷惑をかけ続けていた“ゴウちゃん”が、映画を通して、家族との関係性を取り戻し、生きがいを得た。今回の公演は、「好きなものを追い続ければ、奇跡は起きる」ということを示してくれた作品であった。また、作中には、様々な名画が出てきており、映画好きにも舞台好きにもたまらない公演ともなっていた。今後は「舞台は観たことないが、映画は好き」といった方に『キネマの神様』をぜひおすすめしていきたいと思う。

キセキの物語を産むことにな  る「ゴウ」こと丸山郷直。
 ネットカフェの店員たち、興太、娘の歩、映友社のジョーらの協力を得て映画評論サイト「キネマの神様」を立ち上げ、まさかのフォロワー数100万人越えの有名ブロガーとなっていく。
 のんびり余生を送るはずの74歳(?)がかくれた才能を発揮し、書き込み続ける中で、通称ローズ・バッドと名乗るみ知の人物と出会い、評論バトルを繰り広げていく物語。
 さいしょは軽くあしらわれていた「ゴウ」が、論争を繰り返す中で友情を紡ぎ、ふとしたことでローズ・バッドの素顔を知ることとなる。
 まわりのみんなも巻き込んで、ついには旧友であり親友の映画館「盟友座」(?)の再生まで果たすこととなった。
 ゴウさん役を演じていた吉村直さんのなんといい声!ものすごく通るお声で、後方の席までビンビン響いてきました。一言一句、聞き逃すことなく、お芝居を楽しむことができました。リチャード・キャパネルさんとの最後の場面では、ゴウさんの悲嘆にくれる悲痛な思いが私達の耳にも届き、とても切なかったです。

途中から、じわじわーっと温かい気持ちが広がっていき、終わった時には優しい涙が溢れていました。そんな、「ほっこりとしたシアワセな気分」にさせてくれる作品が『キネマの神様』です。今まで、観劇の経験は何度かありましたが、徳島での観劇は初であったこと、また、サラリーウーマンとして働く私が、金曜日の仕事後に観劇をするという貴重な機会に巡り合えたことにも感謝しています。 ストーリーとしては、名画座の常連客の一人が心筋梗塞で倒れ、かつ多額の借金が発覚するだけでなく、自慢の娘が失職してしまうという失意のどん底の場面から話は始まり、同室の患者から教えてもらったブログを読み、病院を抜け出し、一通のメールを送ったことから、どんどん話が広がっていきます。主人公父娘の人生だけでなく、名画座の命運までも握ってしまう!という、映画を愛する方々の奇跡の物語は、現代人が最も必要とされるであろう「利他的ココロ」がしっかり描かれており、観劇終了後にも、長く温かい余韻として、ほっこりした気持ちを感じ続けることができました。

登場人物それぞれがとても魅力的でした。
 映画評論サイトでのゴウちゃんとローズバットの対決でどんどん盛り上がりお互いを認め合う友情に発展していくところもわくわくしましたし、最後にローズバットが正体を明かしたのもつかの間、消息が途絶え、最後のメッセージが届いた時にはすでに帰らぬ人に、、、という展開にはうるっときました。
 今回3回目ですが、毎回役者さんたちの演技には圧倒されます。あんなに長いセリフを覚えて演じるって本当に凄いですね。役者さんの日々の努力はいかほどのものかと考えると、、、そんなことを全く感じさせずナチュラルに演じられているところに魅力があるのかなと思いました。
 また次回の公演も楽しみにしていますのでよろしくお願いいたします。

心が温かくなりとても幸せな気持ちになる作品でした。今はコロナ禍で、人と人との触れ合いが少なくなっていますが、この作品のように人と人がつながっていけば、こんな奇跡が起きるかもしれない、と思わせてくれ、3時間近くあったとは思えないほど、あっという間に感じました。観客である私たちが映画館の観客になるという映像を使った演出も楽しかったです。

古き良き時代の劇場を救ったのは、SNSでの、映画評論。
 時代の流れで、儲け主義の社会に弾かれようとしていた劇場。
 時の流れは止められない。古い物を永く保存していくことは、大切だし、貴重。
 でも、やはりその中での、変化が出来る文化こそが生き残れるのでは。
 今、娯楽を見ようとしたら、テレビやDVDはたまた新しい見せ物として、YouTube、TikTok 、インスタ等。それら古きも新しきも上手に受け入れて、日常生活や文化の発展になればなぁと思いました。
 画面上でも、生身の人間ごしでも、それぞれの良さが生きて、普段の殺伐とした日常生活に、潤いをもたらす娯楽が続きますように。また、コロナが終息し、普段の日常が戻りますように。
 久々の泣き笑いの作品でした。

鳴門例会カーテンコール

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。