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泰山木の木の下で

劇団民藝公演

鳴門市民劇場5月例会
 2021年5月19日(水)・20日(木)
 感想集


鳴門例会カーテンコール

原爆の恐ろしさ、怖さ、分かっているつもりになりながらも実は分かっていないんだと、つきつけられる感じでした。たった1個の爆弾がもたらす様々な悲劇。どうぞ、二度とこのような悲劇がうまれませんように祈るばかりです。

無事、藍住町総合文化ホールで2回公演ができたことが何より良かったです。細かな反省点や改善点があるかもしれませんが、みなさんの協力のおかげです。すばらしい空間で、ゆったりと楽しむことができました。まず、公演が出来たという経験が自信につながり今後に生かせたらと思います。

日色ともゑさんが演じるお婆ちゃんは、何てちいさくてかわいらしいのでしょう。いくら罪をおかしたとしても、そのやさしくしっかりしたハナ婆さんに、誰もが引き込まれてしまいます。日色さんそのものが、ハナ婆さんだったと思います。澄みきった、よく聞こえる声が今も心に残っています。
 藍住ホールは新しくてきれいでとても良かったです。大ホールでなく、こじんまりして、落ちついて観劇することができました。

日色ともゑさんのハナ婆さん、セリフ量の多さをものともせず、さすがの演技。チャーミングなお婆ちゃんでした。マリオネットのもの悲しい調べにのせて深く余韻の残るお芝居でした。 大好きな泰山木が象徴的に使われ、我が家の泰山木も白い花を咲かせました。今後は、泰山木が咲くたびに、このお芝居を思い出します。

日色さんの膨大なセリフの量に驚かされた。古希が近くなり、最近の物忘れも多くなってきた自分を考えてみると、あれだけのセリフ量をいつ、どのようにして覚えられるのか、日色さんの役者魂に感心した。また、哀愁をおびたポルトガルギターとマンドリンの素晴らしい生の演奏にも感動した。
 新しい藍住ホールでの観劇は最高でした。

親にとって子供に先立たれることほど悲しいものはないという。また、人は一つや二つ、人に言えない苦しみを抱えていたりする。多くの人は、それらを隠して生きている。まさに、このお芝居では、それを表現していて、とても見応えがありました。

藍住町総合文化ホールという素晴らしい会場で、いい演劇を観ることができ、本当に良かったです。どの役者さんの演技も素晴らしかったです。日色さんの声は昔と変わらず、かわいい、すきとおった声でした。「歌を唄う男」の歌も心に残りました。

広島の原爆のむごたらしさが浮かびあがってきました。

会場に、本物の花をつけた泰山木がおかれていた。昔、職場の駐車場の片隅に大きな泰山木があった(今は切られて、ない)ので、泰山木に再会したのと、藍住町総合文化ホールでの観劇が新鮮であり、劇団は歴史ある民藝の公演であり、とても楽しめた。日色ともゑさんは同年代であるが、方言のある長セリフをよどみなく表現されているのに感激!!
 原爆を経験し、子どもも戦死したり原爆で亡くしたりと悲しい体験をしているハナさんが、人助けのために密かに子どもをおろしてやっていた罪にとわれ、警察署へ。刑事役の塩田泰久さんのセリフはよく聞こえた。 北林谷栄さんだったら、どう演じたのかな? 「原爆」が人々の人生に大きな影を落としていることに、やはり「戦争は」、「核は」イヤだ!と思った。マリオネットと歌を唄う場面も、変化があって面白かった。

自称クリスチャンであるというハナ婆さんは、堕胎の罪に問われていた。戦争や原爆で自身の子供も失いながらも、どうしてこのような残酷な事が出来るのだろうと思った。逮捕しにやってきた刑事さんに、悪びれる事もなく事の経緯を淡々と話していたのには少々とまどったが、刑事さんもハナ婆さんに対してはとてもやさしく接していた。それは刑事さん自身も、そして子供も原爆によって障害を持っていたからだ。望まない妊娠をして命を絶とうとしている女性が目の前にいたらどうしたであろうか?ハナ婆さんの行った事を誰が責めることができるだろうか?色々考えてはみたが答えを見出す事は出来なかった。戦争や原爆にあった当事者でなければ、この苦しみを理解するのはむずかしいかもしれない。この世に生を受けられなかった多くの命があったのだと思うととても切ない。
 ハナ婆さんが幾度となく泰山木の大きな木の事を語るのが、どんなにその木に慰められていたのだろうか?ロビー中央に泰山木の鉢植えが2日間の例会を静かに見守っていた。泰山木の花言葉は「前途洋々」「希望に満ちあふれている」だそうだ。これからも藍住のホールでの例会を楽しみたいと思う。

舞台が遠くて、セリフが聞き取れず、方言だとよけいに分かりにくくて残念でした。

台本を読んだときから、こんなに泣いた作品はなかった。ケロイドの女性が木下刑事に、その原爆症の子どもと妻のことを思い、語りかける場面だ。自らケロイドを負いながら(負ったからこそ)原爆によって砕かれた幸せに生きたいという願いが、くやしさとともに、同じような苦しみを背負った人への共感となってほとばしる、その一言一言に涙があふれて仕方がなかった。そして、ラストで原爆や戦争で死んだ子どもたちが、ハナ婆さんに語りかける声から、静かではあるが、戦争をにくむと同時に、二度と繰り返してはならないという強い思いが、ひしひしと伝わってきて、また泣いた。「核兵器禁止条約」が1/22に発効した。日本政府には、この芝居を観て、早く批准するよう動いてほしいと切に思った。

登場人物それぞれに広島の原爆での悲しい体験があり、ハナお婆さんと出会い人柄に触れていくにつれ、前向きに進んでいくストーリーがとても良かったです。ハナお婆さん役の日色ともゑさん、長セリフも素晴らしかったですが、何よりも「可愛らしいお婆さん」が、観ていてほっこりしました!

被告と刑事のやり取りを見ているのに、友達同士が会話している様に思える。刑事に心の優しさがあり、戦後大変な時期に生きている人々が苦しみを乗り越えながら生活している姿が垣間見えた。さすが劇団代表作、すばらしかった。

民藝の上演で、最初から期待しておりました。特に日色ともゑさんのハナお婆ちゃんがとても可愛く印象に残りました。多いセリフもなめらかに演じ、さすがと思いました。

ハナ婆さんの台詞が長いし、聴いてて飽きてくる(^^;)・・・
 失礼m(__)m でも、それがこの劇の演出(狙い)かと思う。 そして、主人公は、実は、木下刑事だったりして・・・。 そう考えると、なぜかしっくり来て、第2幕目は、劇に入り込めた。 ハナ婆さんの元気さと明るさは、やはり、日色ともゑさん色だと思いました。

劇団民藝の皆様、終戦時に投下された原爆の後遺症に悩む物語の公演でした。私たちに平和に過ごせることの大切さを熱演していただきました。ポルトガルギター・マンドリンの軽快な音楽とともに開幕しましたが内容は重く、笑えませんでした。一方、日色ともゑさん演じるハナおばあさんのかわいらしさは、さすが女優さんと私たちをうならせました。物語の感想は多くの皆様から紙面を賑わすと思います。
 私は、背景について感想を少し。泰山木のシルエットはバックに公演時間ほとんどに投影されていました。ハナおばあさんのいえの近くにある泰山木、刑務所にある泰山木。そして背景のスリットの色についても、赤・空の青・夕焼けの赤・白い雲・臨終のときの青・普通の白い雲等に変化させていたのが私たちに今の状況を訴えているようでした。特に刑事さんに障害をもつ子供と介護に携わる奥さんと一緒に暮らせと懇願する場面の赤と黒の背景には現在の心の動きを想像させるものでした。舞台の照明・色は物語を引き立てる裏方の様でした。

自分の生きてきた時代をえがいた演劇で、大へん感動しました。 ハナ婆さんを演じる日色ともゑさんは年令を感じさせないハリのある声で、長い長いセリフを見事に語り、いとしい子供を「殺される為に産んだようなものだ」と云う言葉には、心を打たれ涙を流しました。とても感動し、勇気も得ました。 又、木下刑事さんの一言一言にも、同姓と云う事もあってか身近に感じ、我が事のように錯覚も起こしました。 今回は立派なホールでの有意義なひとときを過ごせた事に感謝して居ります。

たくさんのかけがえのない小さな命が闇の中に葬り去られた時代がありました。 いつの世も、母となることは、そうたやすいことではないようです。 さらに、戦後の混乱期のことです、せっかく授かった命もどうしようもなく・・・。 んんーんとたくさん悩み抜いた上で、産むことのできない女性達が、最後の手段として神部ハナさんを訪ねます。 ぼく師も、警察官も、裁判官も、そんな彼女たちを裁く権利はあるのでしょうか。 くるしかった戦前戦中の暮らしの中で、9人の子供を産み育てたハナさん。 のんびり屋のハナさん、でも、3人の子供達を戦地で、6人の子供達を広島の原爆で亡くしてしまった時には、どんなに辛かったことでしょう。想像に余りあります。でも、これが日本で本当にあったこと。忘れてはならない事実です。 きもちが優しく、きれい好きで、身体の小っちゃなおばあちゃんのハナさん。 のぞむことは、処置をした娘達のこれからのしあわせのみ。 しかたないとはいえ、そんなハナさんを逮捕することになった木下刑事。 たちば上、捕らえはしたものの、留置中、出前を取るなど、優しい刑事さんでした。 でも本当は彼も原爆被爆者で、いつ出るかもしれない原爆症の恐怖に打ちのめされそうになっていました。その上、生まれてきた我が子が障害を持ち、悩む日々。そんな中でハナさんとの出会いを通して、彼は大きく変わるのでした。ハナさんと別れる病室でのシーンでは、彼は本来の優しい姿を取り戻していました。少し、救われる思いでした。 劇中での日色ともゑさんのかわいらしかったこと!話す言葉も声も、そしてその容姿も、この役を演じるために生まれてきた人のようでした。俳優さんてすごいですね。与えられた役になりきるって、こういうことなんだなあと思いしらされました。すばらしかったです。英語でいうとsplendidかしら?brilliantかなあ・・・?

鳴門例会カーテンコール

5月例会から、コンパクトで現代的な藍住のホールでしばらく観劇だ。
 レトロな方が主役で、長いセリフを朗読調に優しく話されるので、原爆の傷跡多い瀬戸内海の島のでき事でも、又また香りうるわしい泰山木の木のそばの家のハナ婆さんという事で、ゆったり優しいドラマに仕上がっていたと思う。

北林谷栄が40年間演じ続けた芝居であること、日色ともゑが可愛らしいお婆さん役で主演していることに強い興味をもって観劇したが、期待通りの名作だったと思う。
 ハナ婆さんが主役ということでなく、被爆者たちの苦悩を描いた群像劇であり、可愛らしいハナ婆さんが狂言回し的に存在したことで、優しい気分にさせる良い作品になっていたと思う。
 ケロイドの女性の悲劇、猿頭症の子を持った木下刑事夫婦の苦悩は衝撃的で胸を引き裂かれるような思いがした。
 歌を唄う男・千葉茂則がマリオネットの伴奏で野太い声で歌う「私たちの明日」は、味があり心に滲みる歌であった。

原爆の悲劇を扱った作品は少なからず観てきたが、そのいずれとも異なる、なんとも処理しがたい重い気持ちがずっと残る作品だった。それが何なのか、整理するのに時間がかかったが“命の選択”であるということに辿り着いた。 ハナ婆さんは「その女性のため」、出産を恐れる/望まぬ女性から頼まれるままに堕胎の手助けをし、その自分の行動には、たとえ法を前にしても一点の曇りもない信念と自信をもっていた。だけど、かつてその運命をたどるはずだった児の一人が、堕胎をしないという母親の心変わりにより健康に生まれ丈夫に育っている事実を目の当たりにしたときに、その信念や自信は大きく崩れ、泣き伏してしまう。どんなことでも、「どちらかが絶対に正」は無いにしろ、だから、自分を責めることは無いという考えが周囲からも寄せられるにせよ、そのときのハナ婆さんの気持ち、自分のすべてが崩れていくような悔恨の念は、胸が痛くなるほどよくわかった。“命の選択”は誰の立場で行えばいいのか…?という課題。
 一方、木下刑事。劇の後半で分かる内容から遡って考えると、 “命の選択”をしなかった/できなかった?
 ことで重度障害をもつ子供を抱えている立場で、仕事上とはいえ、“命の選択”をしているハナ婆さんの取り調べをしているわけである。ハナさんとの対話の中で、一体どんなことを思い、感じ、自身の家族のことに思いを転じていたことだろう、その心中を想像すると、とてつもなく胸が苦しくなる。どうあれ生まれてきた命から見る“命の選択”の是非は…?
 この問題には、時代を経ても、答はない(と思う)。劇中、木下刑事の「愛情っちゅうもんはのお~…」とか、ハナ婆さんの「なんとお見事な…」といった、文末のない台詞が多々あったことがそれを物語っていると思う。でも、答が無いことは、考えることをやめる理由にはならない。答が無いからこそ、他人(ひと)の立場や考えを正しく想像し、共有につとめ、少しでも理解し合える世界を創っていく。そういうことの大切さも(原爆の悲惨さを学び、改めて平和を強く追求する必要性を認識したことに加え)心に焼き付けられた作品だった。

今までにも堕胎を扱った話を読んだりドラマや映画など観て、いつも思うのは、何故いけないのか?望まない妊娠だったり経済的に無理だったり色々な理由で そうしたい人の為に力を貸す事がいけないのだろう?と親子で苦労するのが分かっているのに今の法はどうなっているかは知らないけれど、優性保護法の内に、今回のようなケースに関する規定を作れなかったのか?と思ってしまう!
 人の命に関わる法律は、いつも完璧では無いから法律は、人を助けたり権利を守ってくれものの筈なのに悪用されて人を貶めたりする。一度決まった法律は、なかなか改正されないから色々なケースに対応出来るようにしなければいけないと思ってしまう!
 困っている人を助けたい気持ち!と一つの命を自由にしてしまえる事の重みを考えさせられる作品だったと思ってます。私自身は、主人公は人助けをした感謝されるべき人だったと思っている。

私にとって初めての「藍住町総合文化ホール」で開催された今回の観劇「泰山木の木の下で」で、大きく分けて私は ”三つの衝撃” を受けました。それでは、その各々の ”衝撃” について順を追って皆様にご紹介したいと思います。
 ① 先ず一つ目の”衝撃”です。 この劇中での主な登場人物が、それぞれが広島に投下された原爆と何らかの関わりを持っていたという事です。それも、目を覆いたくなるような、あるいは耳を塞ぎたくなるような悲惨な経験です。この原爆による被爆で、各々の心の中に抱え込んだ葛藤と消し去ることのできない現実、そして一人では背負いきれないほどの大きな苦しみと悲しみを抱いた人物背景に、私はとても大きな”衝撃”を受けました。主人公であるハナ婆さんが9人の実子を戦争で失ったという現実、夫婦共々が原爆の被爆者という事で生まれてきた子供が奇形児であった動かし難い事実、そして髪を垂らした女性の顔に残るケロイド痕のぶつけようのない怒りと悲しみ、それぞれが現実としてとても重く私の心にのしかかって来て、私自身言いようのない息苦しさを覚えました。そして、それぞれが現実であり、決して夢では無いという、その逃げようのない身の上を直視することは、私にはできませんでした。そんな各々の登場人物の境遇から受けた”衝撃”の中で、波動砲とも言うべき計り知れない、そして途轍もなく大きな”衝撃”は、木下刑事の放った言葉(セリフ)です。それは「俺の妻は、十字架に張り付けられて身動きが取れないまま生きてゆかねばならないんだ」…、確かこんな内容の言葉であったと思います。この言葉を聴いた瞬間に私は全身が凍てつくような”衝撃”を受け、言葉では言い表せないほどの自我を喪失するような感覚に陥りました。
 ② 次に二つ目の”衝撃”です。 私の座席エリアを探し当て、そこに着座しておもむろに目線を舞台へと移した時です。今まで観てきた観劇の舞台セットとは、幾分趣が違うなという印象と同時に背景の漆黒の中に稲妻の様な鮮烈な輝きを放っていた血の色をした真赤なストライプとの鮮明なコントラストに”衝撃”を受けました。そして、劇が始まるや否や、趣が違うと感じた舞台セットの無駄を省いたシンプルさとそれを駆使した多岐に渡る舞台設定の変化にも”衝撃”を受けました。ただし、シンプルとは言え、その細部に至るまでの作りには、作り手のディテールへの拘りを感じられずにはおれませんでした。シンプルな作りの舞台セットを千変万化に操る技法は、正しく”衝撃”ものでした。 それに重ねるように、臨場感あふれる生演奏での劇中の情景を奏でるギターの音色と歌を唄う男の黒子的役割を担った演出に今までに経験したことのない新鮮な”衝撃”を受けたのも、私にとっての新しい発見でした。
 ③ そして最後に三つ目の”衝撃”です。 それは、私が藍住町総合文化ホールに初めて足を踏み入れた時に嗅いだ真新しい家屋などで醸し出される何とも言えない懐かしいような新鮮なような匂い(香り)です。私の脳裏に記憶として残っているこの匂いから、今まで私がこれと同じ匂いを嗅いだ事のある過去に訪れた場所、更にはその時の情景などの記憶がまざまざと蘇ってくる心持ちにさせられたことに”衝撃”を受けました。かように匂いは記憶と強く結びついている事を、改めて認識させられることになりました。
 上述の様な幾つもの”衝撃”を受けた私は、劇を観終わった後もその余韻に浸りながら、ヘッドライトを頼りに夜道を愛車にて帰路の途につきました。

日色さんの長い台詞に驚いたことが一番印象深いことです。 内容については、予想通り重いものでしたね。授かった子供が重い障害を背負っていたら、自分ならどうするだろう…。全く想像もできない。神様にすがるかな?とも思いました。

瀬戸内の方言が優しく温かい雰囲気を醸し出していました。穏やかに過ごしているようでも、表面からは見えない闇を抱えて生きていることは、当時のみならずどのような時代でも起こり得ることなのだろうと思います。この話は確かに戦争や原爆の傷跡を描いたものでありもちろん二度と起こしてはならないことではありますが、戦争を起こさないための教訓話というよりは、困難を抱えながらも生きる、どんな時代にも普遍的なテーマとして観ました。ハナ婆さんのように、自分の信念を貫いているけれど頑固な感じではなくて柔らかくて可愛らしい、そんなヒトに憧れます。

広島に原爆が投下されてから18年後、その影響下で苦悩しながら生きてゆく人々と、9人の子供を亡くした悲しい過去を背負いながらも信念を持って強く生きるハナ婆さんの物語。被爆した女性の不安を見かねて「堕胎」を手助けし、そのために逮捕され、取り調べを受け、有罪判決に至るという重いテーマでありながら、瀬戸内の方言とハナ婆さんの可愛らしい人柄から心の温もりを感じさせられた舞台でした。印象的だったのは、木下刑事が娼婦(髪を垂らした女?)に身の上話をする場面。重い原爆症に苦しむ子供を妻に任せっきりにして離れて暮らす木下刑事に「奥さんと暮らさなきゃ、駄目だよ!」と泣きながら木下刑事に訴えるその演技に胸が熱くなりました。「悲しみの数だけ人に優しくなれる」などと軽々しくは言ってはいけないのだろうけれど、心の痛みを知る者だからこそ他人の痛みがわかるのかもしれない。

民藝で長い間大切にされてきた作品で、戦争をすれば、戦争が終わっても苦しみ続ける人たちが大勢いることを訴えかけていた。歌を唄う男の歌声と、マリオネットが演奏するギターの物哀しい音色が、とてもせつなかった。 また、思いやる心の大切さを伝えることが作品のテーマの一つだったように思う。 木下刑事が心優しいハナ婆さんと出会ったことで、前を向いて人生を歩んでいこうとしたことなど、救われた思いがした。

今回、スタッフの宿舎と会場間の送迎に携わることができた。 車中、若い女性スタッフの「母が昨年8月『いぐねの庭』に出演していたんですよ。」という言葉から話が広がり、東北での復興ボランティアの体験や全国各地それぞれの地方色、四国へのプライベート旅行へのお誘いなど話が弾んだ。わずか7、8分間でも、その方、その方の話し方や話題などに個性が出ており楽しかった。
 久次米ホテルは、若いスタッフさんが多かったが、乗車前、降車後の挨拶もきっちりしており大変気持ちがよかった。立ち姿からしてキリッとしていて美しい。役者さんか裏方さんかは不明であったが、「さすが…」と感じ入った。 コロナ禍での公演について話が及ぶと、「鑑賞団体の公演要請がありがたい。市民劇場や一人一人の会員さんあっての我々です。」との言葉。こんな若いメンバーが自然な口調で、確固として応える。印象に残った一コマであった。

鳴門例会カーテンコール

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まで。