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銀の滴 降る降る まわりに -首里1945-

劇団文化座

鳴門市民劇場2019年12月4日例会 感想集


鳴門例会カーテンコール

ウチナー語が分かったらもっとおもしろかったなー、と思ったけど、面白かったです。
 小隊長良い人すぎて…。班長さん声が良かった。

2等国民という言葉は知らなかった。衝撃的な言葉だった。
 昔ほどではないにしても、今でも、そこここに差別はあるように思う。イジメとかパワハラとかいうのも一種の差別のように思う。
 お互いを尊敬し思い遣る気持ちがあれば争いは起こらない。

「食べることは生きること」「新しい命が生まれたら誰だってうれしい。たとえその命が短くても、不幸か幸せだったかは誰にも分からない」おばあの言葉が胸にささりました。戦争は、正常な判断がつかなくなるほど自国民でさえもののしり傷つけ合い、人格までも否定するようになってしまう恐ろしいものです。しかし、おばあの言葉がみんなのわだかまりを解きほぐし、やがて友情が芽生え始め、ラストシーンでは胸が温かくなりました。
 その後の交流会では、ふくろうのミニチュアが仕込まれていた事、ブタの“はなこ”の絵が裏に貼られていた事など、俳優さんでしか分からない事も教えていただきました。
 あるカメラマンの話を思い出しました。女性を撮るときにはヒールの高い靴を履かせるのだそうです。足元は写らなくても、凛とした表情になるそうです。プロの演出、こだわりのようなものを感じました。
 翌日も、ホテルの前での写真撮影など、とてもなごやかなムードで楽しい時間を過ごさせていただきました。充実した2日間でした。

同じ日本人なのに、アイヌの人や沖縄の人は沖縄戦で差別されていたことを知りました。方言は意味が通じないからといって使用を禁止したり、使ったらスパイと見なすなんていうのは特に酷いと思いました。また、佐々木愛さんの演技はさすがでした。

戦争の悲惨さは想像を絶するものと思います。そのような状況の中で、差別を受け自分の本当の心を表現できないのは苦しいことと思います。アイヌと沖縄出身の2人が似たような境遇のなかで、心を通わせていく様子が印象に残りました。厳しい状況の中でも相手を思いやる心を持ち続けていられることは素晴らしいと思いました。

地味なお芝居でしたが中味は意義深いものでした。戦争で多くの人が一人ひとり無念な思いで死んでいった悲しみが胸を打つとともに戦争の悲惨さや平和の有難さを改めて感じました。

戦時中の炊事兵たちのお話は今まで聞いたことがなかったので、新鮮味がありとても興味深く観れました。
 戦争、差別、友情の変化が少しずつ変わっていくのがよくわかり、最後のシーンは胸がきゅっとなるような素敵な作品でした。

セリフがよく聞き取れませんでした。でも、音響効果で戦争の悲惨さ、恐ろしさを充分に味わいました。

戦争中のお話ではあったけど、人と人との心のふれあいを感じさせてくれる、良い話だったと思います。沖縄の人であってもアイヌの人であっても、私たちはみんな日本人なんです。同じように日本という国を愛し守りたいと思っているのですよね。
 席が後ろの方であったためか、セリフが聞き取りにくく、沖縄の言葉も加わったので、一生懸命耳を傾けて観ました。そんな中で、佐々木愛さんの声は、はっきりと分かりやすく、さすがだなあと感心させられました。

戦時中という人間性を失ってしまうような極限状態であっても、他人を思いやる心を忘れない、人間の強さ優しさを感じることができたように思います。ありがとうございました。

日本軍と米軍の緊迫した戦闘の中、アイヌの人や沖縄の人たちが日常的に受けている人種差別や愛さん演じるおばあが、その場をやわらげてくれたり、他人を思いやれる沖縄人の人柄をよく表していて、とても印象深いお芝居でした。

あの飛来する爆撃機の音、劇中、皆さんは耐えられましたか?
 いやというほど、耳と頭と心に刺さりました。戦争がもたらす人間の愚かさ、弱さ、醜さ。
 ぬけ道のない、泥沼に落ち込んだような不安定さです。でも、
 ときには、女学生の愛らしさが加わり、ホッとしましたよね。イトさんの存在も大きかったですね。
 おき縄の言葉もアイヌの言葉も、なんと優しい響きでしょう!意味は分からなかったけれど、お互いが笑顔になれそうです。
 きたのアイヌと南の沖縄なくてはならない日本国民、私たちの同胞、仲間!
 わらって日々が過ごせることの幸せをつくづく感じ、ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

1945年激戦になった沖縄本島、戦いは米軍の圧倒的な勝利に終わったが、その中で全国から集まった人々、北海道(アイヌ)のことなど話題になった作品であり、炊事兵たちの生活を中心として舞台はつくられていた。兵士の思い思いの考えが演出されていて、少々難解な部分があったが戦争という悲惨さをうまく表現できていたと思う。

激しい沖縄戦線のお芝居であった。音響も逼迫感があり、戦場の生々しさが想像できた。日本の歴史・沖縄の歴史で第二次世界大戦は悲しい。大戦の根底にあるのは、日本のために、後の世を生きる私たちの為にと犠牲になった日本軍・住民の人たち。そして、私たちの平和は、その人々の上に成り立っていることである。私たちはこの尊い犠牲の人たちを忘れてはいけないと思った。

戦後生まれの私には第二次世界大戦の歴史を読んだ時に沖縄戦線の激しさを知った。アメリカ軍に追われた日本軍そして住民が最後に自決をした。「ひめゆりの塔」は従軍看護婦さん達の悲しい歴史でもある。日本軍・住民に多くの犠牲者を出したと聞く。
 本題の舞台には大きい木が5本あり、アイヌの神、「梟」が停まる場所である。「梟」は幸せを運んでくる神である。神は高い木の上から私たちの歴史をじっと見降ろしている。自然の中から見れば、生きている私たちの世は泡のごとく見えているのだろうか?仏教で説く人の生きることができる現世は、うたかたの如く短いのだろうか?戦争になっても、動じることのない神。
 全体を通して、「イト」の優しさが際立った。「イト」の持つ人生観に感激した。

鳴門例会カーテンコール

今回は運営サークルだったこともあって、気合を入れて観ました。
 沖縄戦では24万人以上の人が亡くなっています。なんと4人に1人が亡くなったことになります。米軍上陸直前のぎりぎりの時でも他人のことを思いやれる沖縄のおじいやおばあの懐の深い優しさに心を打たれました。軍隊という組織の中でも失わない人間としての優しさも厳しい舞台の中で救いでした。
 また、アイヌであること、沖縄の人であることでの人種差別、しかしその二人がぎくしゃくしながらもだんだん心を交わせるようになっていくところにも、心に響くものがありました。
 そして、佐々木愛さんを中心に厳しい舞台を演じきった役者さんたちにも、すごいと思いました。
 最後に、運営サークルとしての片づけの手伝いが終わって会場を後に車に向かっていた時「ありがとうございました」の声に振り返ると、中里幸吉さんが大きく手を振っていました。こんな文化座だからこそ、今回の舞台が上演できたのだと感動しながら歩きました。運営サークル担当ってすばらしい!!

「中村哲医師銃撃される 命に別状なし」のニュースにグレーな気持ちで鳴門市民劇場に向かった。
 今回の舞台は沖縄戦。戦局はいよいよ厳しく、ぎりぎりの精神状態の中、アメリカと戦いながら日本軍の中では、弱い者やアイヌ、ウチナーンチュを虐げ差別し命まで奪う。戦争の愚かさと酷さを思い知った気がする。
 そんな中、おじい、おばあのする事一言は物事の真理だと思った。「生まれた土地を大事にして何が悪い」「人を人として大事にして尊敬することは大事だよ―」「生きなさいねえー」、簡単と思える事こそ、実は難しいのかもしれない。
 重く、深く考えさせられる作品でした。ありがとうございました。
 帰宅後、中村哲医師死亡の知らせ。真っ暗!
 死なせてはならない偉大な人を死なせてしまった。私たちが守らないといけなかった偉大な人を守れなかった。私の前を照らしてくれていた力強い光が消えてしまったようで怖い。おじい、おばあー。こんな世の中を悲観したらダメなんだよねえー。とてもとても悔しい、とてもとても悲しい。そして怖いです。

父が宮古島で終戦を迎えており、いろいろ話を聞いていました。現地の人の戦友がいたと聞いていたので、中里さんみたいかと思いながら観ており、父の体験を少しは分かることになり、観ることができて良かったです。平和な時代が長く続くように努力していきたいと思いました。ありがとうございました。

あの悲惨な沖縄戦にアイヌの人たちが組み込まれ、差別を受けながらも日本軍の兵士として戦い亡くなっていったという史実を今回の劇で初めて知りました。
 歴史の中に埋もれているけれども、私たちが知る必要のある、いや知っておかなければいけないことだと強く思いました。機会があれば「南北の塔」を訪れてみたいです。
 佐々木愛さんをはじめ実力者ぞろいの若手の役者さんの熱演にも拍手を送りたいと思います。時間が大変短く感じられました。
 爆撃音や戦闘機・戦車の効果音も迫力満点で、悲惨な戦場にまるで自分も居るような臨場感や緊迫感が感じられたり、フクロウの神の鳴き声が静寂の夜に時々聞こえてホッとしたりする等、音響のすばらしさも感じました。 

どの役者さんも迫力のある演技で、思いがストレートに伝わってきました。
 佐々木愛さん演じる与那城イトの命の重さについて語る場面が特に印象的でした。また、もの悲しい三線の音色と弾き語りの兵士さんの声が静かに会場全体を包んでいるようでした。
 戦争は悲惨で、繰り返されてはならないもの。常にそのことを考え、伝えていくことの大切さを痛感しました。

アジア・太平洋戦争末期の日本の軍隊と地域住民の状況を、沖縄を舞台に描いた演劇でした。
 軍隊内の差別や地域住民を守らない日本軍の様子が具体的でリアリティがありました。
 鳴門のあとの東京公演で終演となるようですが、残念に思います。戦争と平和を沖縄を通して考えることは、とても大切なことだと思いますから・・・。

第二次大戦最後の沖縄激戦、久しぶりに戦場劇を観た。緊張感があり非常に熱の入った舞台であった。殊に佐々木愛さん演じるイトおばあの声が会場にもよく通り、要所要所で舞台を引き締め盛り上げていた。
 命令には絶対服従、上下関係厳しい中で、更に下級でこき使われるアイヌ出身兵と沖縄現地徴用兵が出会った。沖縄を守る日本兵の自覚はあるものの、心は最後まで日本兵になり切れない。最初から喧嘩もするし、もっと思いを引かれる大切な家族や誇りがあった。
 戦況悪化とともに物資調達や住民との信頼関係も微妙に変わってくる。軍隊という強制世界の中でも、個々人の心根とまわりの評価、戦友や住民たちを思いやり、心を通じ合えることのすばらしさを教えてくれた。故郷コタンの梟の神の歌、先祖からの住居や生まれ来る子供への思い、敵対する相手にも敢えて降伏し生命を守る選択等改めて尊く感じられた。
 突撃命令・大隊玉砕・・・どんなにこじつけても、無差別殺人の近代戦争は正当化できず、永久に「悪」であることを思い知った。

フクロウの神の神秘的な声に、命の尊さや人の優しさ、人が人を差別する事の愚かさや悲しさを感じ、ドドドーッという爆音に人が人を殺そうとすることの恐怖や守るべき者(もの)は何なのかを見失うことへの怒りを感じました。
 文化座さんの公演、また観たいと思いました。

沖縄は日本国だけれど日本じゃなかった遠い島。私の若い頃は、沖縄に行くにはパスポートが必要だった。興味本位で沖縄展とかを覗きに行くと、切手は全部ドルとセント。南国の綺麗な貝殻を買って帰ったけれど、「沖縄はアメリカ」だった。返還されてからは、友達の新婚旅行といえば沖縄ばっかり。私は見送るばっかり・・・
 戦争中は、本土もみんな辛い悲しい思いをしただろうけれど、家族の生活の場所が戦場と同じ場所だったことは悲劇そのものだ。
 背すじをピンと伸ばして、最後まで観ました。

沖縄戦で戦った兵士達―炊事兵という役割があった戦場。現地徴兵や全国各地からの兵士達の言動が最近火事のあった首里の場で変化のない舞台の場面で表現化されていた。最初はよく言葉が聞き取れず睡魔におそわれた。アイヌの出身の冨田一等兵のコタンへの思い、妹の声がよく聞こえた。イトさんの接収された我が家への思いも理解できる。小野寺小隊長の地区長夫妻への思いやりが嬉しかった。台本も読んだが、今ひとつ劇の内容が把握できない。でも戦争は嫌だ、との思いは残る。

私は北海道出身なのでアイヌの血をひく人がクラスメイトだったことがある。現在はアイヌを題材とした人気漫画(ゴールデンカムイ)が知られていたり、その文化について理解が進み、アイヌに対する偏見はだいぶ少なくなっていると感じているが、少なくとも私の幼少期にはアイヌの人は自分がアイヌだと堂々と人前で話すことはなかったし、差別の対象になりやすかったのは事実だと思う。なので、劇中、実はアイヌだというカミングアウトする兵がいたが、とてもリアリティのある状況だと感じた。差別は現代においても色々なレベルで起きている問題であるし、色々な人間が交わる上では無くなることはないのかもしれないと感じるが、このようなグローバル(これからは地球を超えて銀河単位かもしれない)な時代においては、自分と異質なものに対しては差別ではなく、区別という悪意のないフラットな目線で自己と他者を捉えられたら良いなと思う。

戦争を舞台にした「差別」「命」を考えさせられる素晴らしい作品だった。明治政府によって二等国民扱いされ、自らの言葉や文化を奪われたアイヌと琉球の人々。
 その差別が太平洋戦争下でも存在し続けた。差別はなぜ存在し続けるのか。それは、他者への無理解や無知が原因であろう。舞台にはそこに切り込む糸口となるシーンや台詞がちりばめられていた。雪を見たことのない中里に冨田が教える場面、沖縄の言葉を冨田が教わろうと努める場面、三線やムックリを互いに奏する場面…。他者を知ろうとすることで歩み寄り、他者の文化を楽しむことでその伝統や生き方を知ることができる。
 「命」についても、たとえ戦時であっても、いや、戦時下だからこそ、一人一人の命の尊さを説き、中里とともに喜ぼうとするおばあの明るさと強い思いに、いがみ合っていた兵たちは心を開いていった。「どんな命も、無くていいものなどはない」との思いがひしひしと胸に伝わり、泣けて仕方なかった。
 今、私たちは不寛容の時代に生きている。互いを思いやるには、小さなことから築いていくことが大切であると教えてくれた舞台だった。そして、さらに、この作品で初めて「南北の塔」の存在を知ったように、学ぶための多くの機会を自ら求め、「知る」ことが大切だと痛感した。「知は力なり」だ。武力で平和は築けない。学び、対話し、また知って、他者の立場に立とうと根気よく努めることが、平和につながると確信させてくれた作品だった。
 ありがとう、文化座の皆さん。

この作品は一度観ており、是非鳴門で再度観たいと思っていたものでした。例会になって本当によかったです。
 一度目に観たときから佐々木愛さんのより強いファンになっていましたが、今回も、よく通る声で悲しくなるくらい力強く元気に周囲の人々を勇気づける言葉の数々、一方で悪の体制には毅然と反抗する言葉もいとわない強さ、そして皆が険悪なムードになったりネガティブな思いにとらわれるときには氷を溶かすように温かい雰囲気を作り出す行動で物語を編み上げる「おばあ」の役の演技に終始引きこまれました。あ~、私も落ち込んだときには、あのテンションで気持ちをアゲてくれるおばあが欲しい(そして、私もあんな‟おばあ“になりたい!)。
 他方、中心になった2人(中里、冨田)はもちろんですが、すべての炊事兵(また上官たちも)たちの個性と変化や成長もとても魅力的に描かれていて、群像劇としての面白さもありました。深くは知らなかった終戦頃の沖縄の事実を知れたとともに、戦時下に限らず人と人が差別・偏見なく付き合うことの難しさと大切さも目の前で教えてくれた、素晴らしい作品だったと思います。

悲しい時代、辛い環境ながらも、時折ナレーションで流れる「兄への手紙」の明るい少女の声に救われました。それが最後には「兄から妹への手紙」で死を覚悟したものだったのでまた辛くなりましたが、やはり朗読場面は感動でした。最後の場面のあと、アイヌの兵士はどうなったのでしょう。助かっていることを祈るばかりです。音響は、淡々とした劇へのメリハリ効果だったと思いますが、自分には音が大きすぎて怖い思いが募ってしまいました。

戦争もの、というイメージで迎えた例会でしたが、始まると銃や爆弾など血なまぐさいシーンは無かった。ただ、話していることは戦時中ならではの上下関係や軍人の言葉に耳馴れなかった。その戦争と爆撃というシーンも今までの既成概念を払ってくれた明るい照明の中の大音量だがクリアな爆撃音が、恐怖だけしか残らないお芝居とは違っていた。ストーリーも一人一人の人間性が浮き上がり、アイヌの人、沖縄の人、小隊長と班長、炊事兵その立場によっての思いが感じられた。単なる戦争ものでは無いお芝居だった。最後には、梟の羽ばたく音が空を舞う音が心に残っていて、非常に何故か心地よく、きっと信じる者には幸せがやってくると思った私がいた。

この作品は、文化座の財産演目にしてほしいこれからもずっと演じ続けてほしいと思うほど素晴らしい作品だった。
 戦争のむごさに加え、差別・偏見など考えさせられる内容で、登場人物の個性がしっかり描かれていて、感情移入して観劇することが出来た。

戦後生まれの人間にとって、戦争については今まで情報を聞いてはいるが、観劇して改めて恐ろしさを知らされた。この時代に生きた人は自分の思いとは異なる行動をとらざるを得なかった。そして、尊い生命を落としていった。
 今、私の楽しみの一つであるスポーツ観戦(Vortis応援)なんかとんでもない!演者の迫真の演技はすばらしかった。

戦争はすべての人の運命や人格までも変えてしまう。おそろしい現実…その中で出会うはずのない人たちが出会い偏見やいがみ合いながらも、生きていくために手を取り合う無残な戦争中だからこそ通じ合う心があったかもしれません。佐々木愛さんの沖縄の“おばあ”役とても良かったです。寒い夜に暗い話で心が少し重くなりましたが…

鳴門例会カーテンコール

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