ホーム > これまでの例会 > もやしの唄 > インタビュー

根本泰彦さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問87


 テアトル・エコー公演「もやしの唄」鳴門例会(2018年5月14日)で“泉恵五郎”役をされる根本泰彦さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略) まず作品「もやしの唄」についてお伺いします。人々の温かみとか家族の絆が充分感じとられる作品と思うのですが、根本さんはこの作品をどう捉えているのかをお聞きします。

根本泰彦

根本泰彦(敬称略 以下根本と略) 時代設定は僕が小学校へ入った位ですね。(舞台に)出てこないですが、幹太という子供がいます。私は彼と同世代ぐらいです。役作りの上で時代設定も自分のその頃を参考にしました。それで想い出すと、母親は勿論戦争経験者なので、もう戦争はいやだ、戦争はいやだと言っていたし、これからはもう戦争は絶対ない、世の中はいい方向ばっかりに行くと皆が信じていた時代です。
 作品については、書かれたことを役者として一生懸命にやるというだけなので、余り深く作品のテーマとかそういうものは考えないようにしています。人を丁寧に描いているので、それがどんな世界になるのか、どんな空気になるのか、そういうものを感じて頂くのが一番だろうと思ってやっています。

鳴門 根本さんは、この作品でこういうものを見て欲しいとか感じて欲しいとか、特に何かありますか。

根本 あえて、こう観て欲しいということはないですね。いろんなことを感じて下さり、最後は喜んで頂ければ嬉しいなあ。ただ一言いえば、主人公の一人、村松という若者がいるんですが、彼が変わっていく姿、全く見ず知らずの家族の中で生活してどう変わっていったかという、そこは観て頂きたいなと思っています。

鳴門 いろんな役者さんが出られていますが、地方を廻っているうちに役者さん同士で交流とかありますか。

根本 いいチームなので出来れば皆で遊びたいと思うのですが、なかなか時間がないですね。それがちょっと残念です。昨日、移動日で早い時間に着いたんですけど、あいにくの土砂降りで、どこにも行けませんでした(笑)。晴れていれば、「渦潮見に行こう」とかなったんですけど、あの雨で皆ホテルに籠っていたみたいですね。

鳴門 鳴門の渦潮は有名なんです。特に、春は1年で一番大きい渦ができるんですね。テレビなんかで渦潮と出てきているのは、この時期の渦潮なんですよ。昨日も天気が良ければ本当に大きな渦が見れたと思いますね。

根本 僕は今朝行ってきたんですよ。11時ちょっと過ぎに、いいタイミングで行ったんですが、ほおーこれは、というような大きな渦は見られなかったです(笑)。

鳴門 俳優になったキッカケは何だったんでしょうか。それと舞台を離れて日常生活での趣味は何でしょうか。

根本 まさか役者になるとは、昔の僕を知っている人には考えられないと思いますね。人前に出るなんてことは本当に勘弁してくださいという人間でした。授業であてられて教科書を皆の前で読むのさえも、息が上がって、もうやめてくれというくらいでした。一人でテレビの人形劇を見たりするのが大好きでした。「ひょうたん島」世代なんです。
 物を作ることが大好きだったんですよ。手先も器用だったので色んなものを作っていましたね。ひょうたん島の人形を新聞紙を丸めて作ってみたりとか。将来、人形師になれたらいいなあと思っていました。小さい子も好きだったんで、人形劇団に入って子供が喜ぶ顔でも見て、そういう事が仕事になったらいいなと夢見て、大学で人形劇のサークルに入ったんですよ。(人形を)作って動かす裏方をやろうとしたんですが、人数が少ないのですぐアクターにさせられました。発声練習とかも大嫌いでしたけど、顔を真っ赤にして大きな声を出していました。やっているうちに、あれっ、実は嫌いじゃないかもしれないと感じました。今までずっと閉じてきた自分の殻を破って、何か別のものになりたいっていう自分を見つけたような気持ちになりましたね。そうして人形劇にはまりこんでいったんですけど、人形劇でも、後輩が入ってくると教えなきゃいけない立場になるんですよね。何も知らないで教えることは出来ないなあと思って、いろいろ舞台を観始めました。俳優座のポスターを見つけると観に行ってましたよ。観ているうちに学校巡演で大ヒットしていた「ブンナよ、木からおりてこい」という35年前の青年座の、初演の舞台に出会いました。衝撃でした。あんな風に生きてみたいと舞台上の人に憧れたんです。
 それまでは自分が舞台にあがるとは考えた事もなかったんですが、余りにもそこにいた役者たちが素敵だったんで、初めてこんなに風に生きていけたらいいなあと思いまいした。それで当時青年座の養成所の夜間コース、お試しコース週3回・半年間の講座に入ったんです。最後は一本舞台をやるんですよ。それがやっぱり面白かったんですね。それでもうやめられなくなってしまって、今に至っていますね。

鳴門 えっと、それと趣味の方を(笑)聞かせてください。

根本 趣味は特別これというのはないです。子どもが小さかった時は、趣味は育児ですって言ってました(笑)。うちにいるのが好きなので、うちの事を何かこまごまやったりとか、時々ミシンかけたりもしました。

鳴門 え~。

根本 子供の幼稚園が、園バッグとか靴入れとかは手作りのものでという幼稚園だったんですよ。僕がミシンを買って使ってみると、本当に売り物じゃないかと思うくらい上手に出来て(笑)。楽しくなっていろいろ作りましたね。娘からパパ、リュック作ってと言われると、夜なべして作っていました。

鳴門 子供さんたちは喜ばれたでしょうね。

根本 喜んでいましたね。寝ないで作って。娘が待っていると思うと、疲れも飛びますね。

鳴門 テアトル・エコーにはどうして入られたんですか。

根本 青年座に憧れていましたが試験に落ちたんです(笑)。その当時、演劇雑誌の表紙をめくるとテアトル・エコーの養成所生募集の広告があって、熊倉一雄とか山田康雄の写真が出ていて、名前はよく知っているぞと思ったので、じゃあ受けてそこで勉強しようと思ったんですね。それがエコーとの付き合いの始めです。でもエコーに入る前はエコーの芝居を観たことがなかった(笑)。

鳴門 エコーに入ってから、よその劇団の芝居をよく観にいかれるんですか。

根本 評判を聞いて、これはというのがあると観にいきます。けれど若い時はお金がなかったので食べるのに精一杯でチケットを買っていくというのがなかなかできませんでした。それが仕事なのでそうしなきゃいけなかったんですけどね。

鳴門 声優さんでもあるんですね。ちょっと調べさせてもらいましたが、「魔法にかけられて」のロバート役をしていますね。今声を聴いていたら、ある場面がちょっと浮かんできたんですが。

根本 あれは思い出深い作品なんですよ。あの役者さんはずっとテレビシリーズの医療ものを2年か3年やっていたんですね。レーザーナットキンって番組があって、その時初めてあてた役者さんなんですけど、ある日「魔法にかけられて」のオーディションを受けたんです。この映画は劇場版なのでキャスティングが厳しいんです。そこでオーディションシートっていうものを貰うんですけど、役者の名前が裏に書いてあり、僕はパトリック・デンプシーと書いてありました。過去にあてたことがあるから呼ばれたのかと思ったら、オーディションとして来た役は全然違う役でした。悪い王女にあやつられている三枚目の役、こっちかあとがっかりしましたね。じゃあパトリック・デンプシー役は誰がやるんだろうと思いながらオーディションに行ったんです。あっ、あの人にあてている役者だよねとわかってもらえて、「折角なんでこちらの声も取らせて下さい」と言われ、一応気を遣ってくれたんだなと思っていたんですよ。でも2か月くらいたって、パトリック・デンプシー役に決まりましたと電話があって、うれしかったですね。
 もう一つ思い出深いのは、その映画の公開が、上の娘が小学校に入る時の春休みだったんです。それまで娘を映画館に連れて行ったことがなかったんですが、これは丁度いい機会だなと思って、パパの仕事を見せたいから連れていってあげると言って、夫婦と6才の娘の3人で見ました。その時、3つ下の妹がいたんですが、それはちょっと預けて。春休みに見たのですが、この時間がすごく良かった(笑)。

鳴門 好きな本とか映画はありますか。

根本 また子供に戻るんですが、子どもが幼稚園に通い始めてから毎月2冊絵本が配布されるんですよ、勿論お金を払うんですが、絵本を沢山おいて色んな事を進める幼稚園だったんで、本と出合えたのがうれしかったですね。本を知らない人生だったらちょっと損したなあと思うくらいいい本を沢山読みました。

鳴門 根本さんが読み聞かせたんですか。

根本 一所懸命、子育てしましたからねえ。一緒にいられる時間は、いっぱい遊んで、本も読んで。結構贅沢だと思うんです。だってプロがやるんですから(笑)。
 この絵本作家はこれをどう見て欲しいと思っていたかみたいなことを考えました。例えば、「蝶々がひらひらと飛んでいた」とすると、絵本作家は、最後はこうして蝶々が羽ばたくように子供に見せて欲しいと思っている、絵本からどう読んで欲しいかという作家の意図を汲み取らないといけない、ということを子供のためにと思って何度も下読みするんですよ。そうやって一生懸命考えて、読んであげてたことが、絶対どこかであの子たちにわかる。あの子たちがいずれは子供に読んできかせる時に、これは散々やってもらったことだと思い出すんじゃないかと思っています(笑)。

鳴門 「もやしの唄」は家族のこととか回りの人のこととかいろんなことが入っているので難しいですよね。

根本 作者の小川未玲さんは、日常を取り出したようで、実は会話の中に演劇的な特別な会話の応酬がたくさんあって。その仕掛けが見えないように計算されているので、自然に見せながらも、実は色々大変なんです。

鳴門 それは面白い?!、笑えるとこは笑った方がいいんですか。

根本 そりゃあ笑って頂けると、こちらも励みになるので。

鳴門 芝居をしながら旅での楽しみはありますか。

根本 若い時は役者で旅をしたことがありませんでした。役者で出演者として旅に出られるようになったのは一昨年からなんです。それまでスタッフでしか行った事がなかったのですが、この「もやしの唄」の神奈川例会で初めて役者として旅公演に廻れるようになったんです。以前はスタッフの仕事をすればいい、後の時間は自由だというので、ともかく時間があれば観光して、夜はお酒を飲んでという楽しみ方をしていました。けれど自分が大切な芝居をやる役者として旅を始めてみたら、一日一度の本番にその日の自分のベストを持って行くことを中心に考えると、あれをしたい、これをしたいということが余り出来なくなりましたね。
 今日は、昨日移動してきて夜公演なので、朝散歩がてらに渦潮を見て、ホテルに戻ってきて、ちょっとまた仮眠をとったんですよ。そうやって夜の6時半に合わせていくというのが、そこが全てになっていくので。自分のベストに持って行って、一生懸命芝居をしてお客さんに喜んでもらえると、それで満足なんです。

鳴門 東京でやるのと旅に出られてやるのとでは違いはありますか。

根本 やはり土地が替わると、今日のお客さんはどうだろうと思うし、緊張感は勿論あります。やることは一緒なんですけど。あ~、移動するってのはそれだけで疲れるんだなあと思うようになりました。もう歳ですねぇ。

鳴門 では最近までスタッフとして廻っていたんですか。

根本 それも40歳ちょっとぐらいまでですかねえ。へたなアルバイトするよりは、旅に廻ると袖で先輩の芝居は見られて勉強になるし、その間の食事も出るし、観光も出来るぞと若い時は思ってました。40歳過ぎた時、体力的に自信がなくなって、声の仕事を始めました。本当に一昨年から役者として旅に出るようになったんですよ。

鳴門 最後に、私たちのような演劇鑑賞会の活動について何か考えられていることがあったらお願いします。また鳴門市民劇場の会員に一言メッセージをお願いします。

根本 本当に呼んで頂けたことを幸せに思っています。「もやしの唄」っていう訳の分からないタイトルで(笑)、しかも誰も知っている顔もいない(笑)有名な俳優もいない劇団を本当によく呼んでくださいました。そこは感謝の気持ちで一杯ですね。14年前に初演したこの芝居を多くの人に観てもらえたらいいなあと思い、呼んで頂けたことが嬉しいです。本当に有難うございます。

根本さんとインタビューアー

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。