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栗田桃子さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問49

  こまつ座公演「父と暮らせば」鳴門例会(2011年9月8日)で“美津江”役をされる栗田桃子さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

栗田桃子さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
栗田さんとしては『ゆれる車の音』で角野卓造さん演じる金丸重蔵の娘役でお見えになられましたね。
栗田桃子(敬称略以下栗田と略)
ええ、ちょうど2年前になりますね。
鳴門
こまつ座さんとしては5回目ですが栗田さんは2回目ということですね。まず、はじめに作品についてお伺いいたします。徳島例会で一足先に見せてもらったのですが、ものすごく感激しました。短いけれどとても濃い作品のように思いました。原爆を取り上げた作品で、重く厳しい内容ですが、少しも暗くなることなく、むしろ明るい作品ですよね。悲と喜の共存、演じられる側として何か意識されていますか?
栗田
このお芝居は、舞台がくるくる回ったり、きらきらした何かが降りてくるような派手な演出はなく、2人の会話だけで話が進んでゆくので、言葉ひとつひとつに込められた思いをいかにみなさんに伝えるかということを一番意識しました。
鳴門
父親との絶妙な掛け合いに感心しました。広島弁はかなり練習されたのですか?
栗田
以前に、『紙屋町さくらホテル』で広島弁を使った芝居をしたことがあるんですが、今回はセリフの量が違うので、方言指導の先生にセリフをテープに吹き込んでもらいそれを聞いて練習しました。でも、実際に舞台で動いてセリフに感情が入ってくると音(おん)が変わってしまって、その都度先生に指導してもらいながら広島弁を憶えていきました。
鳴門
歴代の美津江を演じられた方々、梅沢昌代さん、春風ひとみさん、斉藤とも子さん、西尾まりさん、宮沢りえさんを意識することはありますか?
栗田
実は、私みなさんの舞台を拝見したことがないんですよ。西尾まりさんが舞台をされている時はちょうど旅公演中で観ることができなかったんです。そして、自分が美津江をやらせていただくことが決まった後くらいに、ちょうど宮沢りえさんの映画が公開されたんです。私、宮沢りえさんがすごく好きでしたし、すごく良い映画だっていうのは分かっていたので、あえて観たくなかったんです。でも、それじゃいけないって母が言うので意を決して観にいったんです。そしたら、始まってすぐ自分が演じる事が決まっていることを忘れちゃうぐらい映画の世界に引き込まれてしまって、観終わって、すごい作品に私は関わることができるんだって実感したのを憶えています。
鳴門
やはり2人芝居は、難しいですか?
栗田
私は2人芝居は今回が初めてなんですね。もちろん『ゆれる車の音』でも2人だけで会話するシーンはあったんですが、1時間20分もの間ずっと2人だけで会話することはなかったですからね。どんな芝居でもそうですが、特に2人芝居は、ほとんど2人の会話で成り立っていて、それぞれが役割をもって演じているので、どちらかがつまずいてしまうと大変なことになってしまいますからね。
鳴門
本当に、セリフが多いですよね。
栗田
ええ、「お父さん」が言うには1時間20分だから、ひとり40分ずつだって。
鳴門
辻萬長さんのこと「お父さん」って呼んでいるんですね。思い入れのある場面などありますか?
栗田
全てですね。全てですが、敢えて挙げるなら3幕・4幕の終盤のシーンですね。2008年の初演のころは、どうしても芝居の終わりの方が重くのしかかる場面になるように書かれていたので、終盤になると私の気持ちが高ぶってしまって、思いをぶちまけるような芝居になっていたんです。すると、井上ひさし先生が芝居のあと楽屋に来られて「気持ちは分かるんだけど、あそこで気持ちを表に出すのではなく、押さえた上で気持ちを出すようにしてください」っておっしゃられたんですね。ああ、そうだなって。確かに先生のどんな作品でも、怒る場面で敢えて怒る書き方はしてらっしゃらないんですよね。言葉にすると簡単なんですが、なかなかできる事ではないですよね。
鳴門
辻萬長さんは武骨で恐いイメージがあるのですが、共演してどうでした?
栗田
萬長さんは、体もがっしりしていて頑丈そうだし、顔もくっきりはっきりしていて、にらまれたら怖そうですけどね。こんなこと言ったら本当に怒られそうですが(笑)。いえいえ、多少乱暴なところもありますが(笑)とてもあたたかくて、本当に優しいかたです。
鳴門
ところで栗田さんは、お父様の蟹江敬三さんに影響を受けて、小さい頃から演劇の道を目指されていたのでしょうか?それとも、逆にお父様の影響で演劇に関わりたくないと思われていたのですか?
栗田
いえ、父の影響ではなかったですね。父は小さいころは家にずーと居なかったり、そうかと思えば突然居たり(笑)。物心ついた頃には、父はテレビの中にいた人だったんです。ですので、ことさら意識をして小さい頃から目指した訳ではなく、普通の家庭だったら保母さんになりたいとか思うように、自分の中には俳優の道も一つの選択肢の中にあったのだと思います。
鳴門
養成所のようなところには入られたんですか。
栗田
はい、文学座に。高校を卒業して文学座の研究所に入りました。
鳴門
どんな試験だったとか憶えてますか?
栗田
国語の試験みたいな感じでしたね。戯曲と作者を結びつけるような。高校生に「ブレヒト」といわれても分かんないですよね。なので、適当にイメージで答えたのを覚えています(笑)。実技もあって「自分の得意なことを表現して下さい」と言われ、非常に恥ずかしい思いをしながらやった事を憶えています。でも、あの頃は演技をするということ自体が分かっていなかったので、とにかく何かをしなきゃいけないと思いっきり表現したのが功を奏して通ったのかもしれないですね。
鳴門
やはり、栗田さんでも演じることは恥ずかしかったんですか?
栗田
それはそうですよ。審査員のような人がずらっと並んでいるところで何かをやるなんて経験は今までになかったですから。
鳴門
高校をでてすぐ受けられたんですか?
栗田
ええ、卒業してすぐ受けました。もうその時は卒業していたんですが、母が「制服を着ていきなさい」と言ってくれたんです。もちろん受験に来た人で制服を着ている人はひとりもいなくて、「なんだ、あの子は」って審査員の方も思ったと思います。自分にはなんの特徴もなかったので、母が親ごころで考えてくれたんでしょうね。
鳴門
ところで、栗田さんの休日の過ごし方などお聞かせください。
栗田
私は手芸が好きなんです。やりだしたら、部屋に閉じこもってずーっとやっていますね(笑)
鳴門
でも、お忙しいでしょうから、なかなかできないんじゃないですか?
栗田
この世界は日によって違うんです。旅公演のように毎日毎日公演が続く時もあれば、1〜2ヶ月くらい空く時もあったりで。研究生の時、座員になる前は毎日授業や訓練がありますが、座員になるとそういうことはないですね。
鳴門
身体を鍛えることは何かされていますか?
栗田
毎日、体操はしていますね。なんにもしないと体が硬くなり気持ちが悪くなるので、体調を整えておくためにも、体操ぐらいはちゃんとしないといけないなって思っています。
鳴門
お父様のお芝居はよくテレビで拝見させていただいているのですが、共演されたことはあるんですか?
栗田
ないですね。これからも絶対ないですね(笑)
鳴門
お父様の芝居をみてどのように感じられますか?
栗田
こういう言い方をしていいのかなとも思うのですが、本当に尊敬しておりますし、すごい俳優だって思っています。家にいるときには、お父さんいやだって感じになるでしょ、だからそんなことを父に言ったことないんですけどね(笑)。
鳴門
最後に、鳴門市民劇場の会員に向けて一言お願いいたします。
栗田
振りかえってみると、旅公演に行っていない年はないんですね。そこで毎回みなさんに会うたびに、会員さんをひとり増やすのは本当に大変なんだって感じます。だって、全く芝居を観たことのない人に「こんなに芝居って素晴らしいんですよ」っていくら説明してもそれを理解してもらうのは難しいじゃないですか。しかも、何年も観ている人は「考えさせられる芝居も良かったね」ってことになる話でも、初めて観た芝居によってその人の芝居のイメージって固まってしまったりしますしね。また、いくら私達が芝居を造ったとしても、市民劇場のみなさんのように観て下さるたくさんの人達がいないと成り立たないんですよね。みなさんが支えて下さっているからこそ、私たちは来ることができるんです。わざわざ暑い中出掛けなくてもテレビやDVDでみられる時代ですが、生の舞台でしか伝えられないことって必ずある筈なので、これからも皆さんにしっかりそれを伝えてゆきたいと思います。
鳴門
今日は特別例会と称して、中高生が無料で観れる例会なんですよ。
栗田
そうなんですか。素晴らしい企画ですね。今は、なかなか若い人がお芝居を観る機会がないですからね。今日の『父と暮せば』を観て、若い世代の人達が生の舞台の素晴らしさに触れていただけたら嬉しいと思います。
小林祥子さんとインタビューア

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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