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「族譜」

青年劇場

鳴門市民劇場2011年5月26日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

改姓とは、命と引きかえにするほどの重みがある、心にずっしりとそのテーマの重さが伝わってきました。「愛国心」「国家」など、今の時代に余り聞きなれない言葉が飛び交いました。
  あらためて、昭和10年代の日本の歴史と、人の生きた足跡と価値観を考え直してみることが大切であるように思いました。
  今日の舞台はすごく重いテーマと、とっても深い思いを宿題にされたように思います。
  族譜とは、人の生死のみを記録する家系図に、時代に起こった出来事も書き残す、文字通り一族の歴史のようなものであることも、良い勉強になりました。

今回の劇場は1904年から朝鮮と日本(日露戦争の歴史と文化の物語であり)歴史について学生時代勉強した様な気がしますが非常にむつかしい物語と思います。俳優も女優も現地の人々の出演であり、改名についてこの様な事があったとは知りませんでした。

創氏改名を強制されたら、自分に置き換えて考えたら屈辱的な事だと思う。薛の舞踊にはくやしい思い、悲しい思いが心に伝わってきて涙がでました。。トラジの歌は可愛かった。
  ナショナリズムは恐い。戦争は二度としてはいけないと思いました。

観劇を通して、戦争がもたらす悲劇は、ひとつには戦闘と言う暴力によって生命や財産が一瞬に奪われることがあるけれども、もうひとつ忘れてならないことは、民族が長い時間かけて培い大切にしてきたアイデンティティーや習慣、価値観といった文化が壊されてしまうことだと思った。その文化の破壊は、支配する側により支配される側に対して一方的になされる、というふうに単純に納得してはならないとも思った。主人公のひとり谷六郎が、ソル鎮永の人柄や信念に惹かれ尊敬の念を抱きながら、彼に「創氏改名」に応じるよう勧める姿には、「善良な普通の日本人」が、日本のよき文化である勤勉さや義理・人情を隠れ蓑に、しらずしらず朝鮮民族のアイデンティティーと文化の破壊に荷担していることの怖さを感じた。戦争は、他者の文化のみならず、自らの文化も壊していく。それだけに、平和は、自国と他国、自民族と多民族の文化の相互理解と尊重のなかからつくり出していくものだと強く思った。

観終わった後、複雑な気持ちになった。
  日本はどうすればよかったのだろう?
  答えの出ない問いのように思えた。

まじめなドラマでドキドキして拝見しました。
  歴史の勉強になりました。

今回の劇は最初から迫力と重みがあった。幕開きの舞台背景がきれいであったこと、地主薛鎮永の威厳ある振舞、娘玉順のひかえ目ながら芯のある美しさ、子どもの純真さなど。昔日本にもこれに似た雰囲気があったような。なつかしい思いがした。
  これと対照的だったのは谷六郎、エリート医学生だった頃の金北萬、最初は絵画制作や明るい将来へ向けての友好的なかかわりだったものが総督府の創氏改名の政策により、まわりの関係を全く変えてしまっていく。
  日清・日露戦争までは日本は朝鮮にとっても希望の星だった。満州、日華の戦争拡大と共に国民総動員、植民地まで動員して戦争にかり立てて行く。軍部の狂暴さが秀吉の朝鮮出兵、清正の「耳刈り鼻削り」とダブッてくる。……改名したその日の薛鎮永の自殺。ギリギリまで追い詰められた状況下での最も大切なもの、尊厳と、人としての信頼について考えさせられた。   

現在の急激な時代の流れについて行きかねている

昭和15年頃のお話で数年後に生まれた私は知る由もないのですが成長してからも誰からも、在日の人達のことは聞いたことがなく今回初めて知り、目からウロコの連続でした。“そうだったんだ・・・”とすごく心が痛みました。
  「アリラン」は原曲?なんでしょうか、心にしみました。
  子ども役の三名がとてもよかったです。

身のおきどころがない思いで見入ってました。
  過去のできごと、とは言われない。すごく近い過去ですね。忘れたいけど、忘れてはならない現実を思い深く考えさせられた夜でした。

戦争を知らない私にとって、これまでの日朝関係を知ることができる作品でした。
  日本人(強者)の身勝手さに憤りを感じ、逆境のなか朝鮮人の誇りを貫いた主人公に感動しました。また劇中の朝鮮の歌や踊りがとても素敵でした。
  近年、韓流ブームで文化の交流から、日韓の関係もかわりつつあるように見られていますが、ほんの少し前まで反日感情を報道で取り上げられ、テレビでその様子を見て、日本に対する根深い気持ちを感じていました。しかし、この舞台を見て、学校の授業では教えられない事実を知ることができ、韓国人の本当の気持ちを知ることが出来たような気がしました。
  恐らく、その当時の時代背景からお芝居にも出来ないような残酷な事実もあったはずと察します。
  私達の先人がしてきた事も、その時代では仕方のなかったことかもしれないし、責める気持ちにはなれません。
  しかし戦争が如何に人を傷つけてきたのかを知り、歴史を学び、同じ過ちを二度とくり返さないことが私たちの使命と考えさせられました。
  今まで日本人の立場でしか考えてなかったけど、初めて本当に韓国人の立場で歴史を考えることが出来たような気がしました。
  何処の国の人でも人は人、人間に優劣はありません。一人一人の相手を思いやる気持ちが、世界の平和につながっていけばいいと切に願います。

大変よかったです。
  私もそうですが、劇の後半では韓国人の気持ちに共感し、日本を悪だと感じていました。自分が日本人でありながら、日本の方を悪だと感じていたわけです。こんなことは、他の国では有り得ないことなのではないかとも思います。日本人独特の感情なのではないかと思います。どうしてこういう気持ちになるのでしょうか。私たちは「日本」が嫌いなのでしょうか。
  いや、そんなことはないと思います。私たちは日本が嫌いなわけでは決してありません。日本は好きです。自分が生まれて育った国ですから。自分の国ですから。
  しかし、私たちは、(第二次世界大戦時まで存在した)軍部は嫌いです。(自衛隊も・・・) そして、日本の政治には不信感を抱いています。そういうことではないでしょうか。だから、「族譜」では、韓国人の気持ちに共感し、日本政府のやり方に反感を感じたのです。そういうことなのでしょう。

「族譜」「創氏改名」を劇中で理解できたと云う自分の知識不足を実感させられたこの度の青年劇場公演でした。何か重々しい劇であったことはいなめないと思います。
  私的には娯楽性のある方がどちらかと云うと好ましい 希望的お願いです。

第二次世界大戦中に朝鮮人が日本名を名乗らされていたことは聞いたことがあったが、日本政府が植民地政策の一環として「創氏改名」が行われていたということは知りませんでした。
  昔、学校では日本の都合の悪い歴史の事実(特に戦争)は習ってなかった。教えてもらえなかったように思います。少しだが知ってうれしいです。ソルヂニョンさんが“族譜”を大切にしてきたが自分の命を犠牲に孫達のために改名に応じた無念さには心が痛みます。
  日本政府の卑劣なやり方には腹が立ちました。日本人としては恥ずかしい。

「族譜」は、少し重い感じの劇ではあったけれど、観る人に対するメッセージがあって、それに対して考える機会をもらえたので、とても良かったと思う。
  中国や韓国に今なお残る反日感情を伝え聞く度に、「既に賠償済み」とか、「自分の世代の日本人が犯した罪ではない」などという反論を考えたことが少なからずある。しかしそういう問題とは別に、過去の歴史と正面から対峙し、敗戦後に踏みにじられた人たちの悲しい気持ちを思うことは大切なことだと感じた。
  また一方で、過去に日本が中国や韓国に対して行ったことと同様のことが形を変えてアメリカから日本に対して今も行われ続けているという事を、今の日本人はちゃんと認識するべきだと思う。

鳴門例会カーテンコール

「族譜」の舞台を鑑賞してあらためて戦争について悲しい出来事を知りました。昭和10年生まれの私も、国民学校、初等科…と戦前・戦後を体験してきました。クラスの中にも韓国朝鮮人の友達がいました。大人の人達はいつも民族衣装を日常でも着ていました。
  子供だった私には日本政府が朝鮮に対して行ってきた侵略による圧力などわかりませんでしたが、今回の舞台で朝鮮人民族にあたえた大きな屈辱・怒り・悲しみなどがよくわかりました。
  幕の上がった舞台装置の重厚な造り、窓の外の木々にも歴史と文化を感じました。劇中の子供たちの華やかな衣装・遊び・歌も時代の流れに伴い変わってきました。私たちも男性は国防色の国民服、女性はブラウスにもんぺ姿(黒色が定番)が普通でした。「お国のため・天皇陛下の御為」今も耳に残っている軍国主義の時代です。
  地主・薛鎮永の哀愁をおびたアリランの歌・おどり、重く心にしみました。日中戦争は拡大し朝鮮人を戦争に駆り出させるための「創氏改名」政策です。政府の圧力や谷六郎の穏やかに改名を進める説得交渉にも応じず、苦悩と葛藤の末、薛鎮永の選んだ選択は悲しい結末となりました。
  核家族の進む日本では家系図など、どうなるのでしょうか・・・・
  初めて知る事実と自分の65年前の記憶をたどりながら舞台を鑑賞しました。
  戦前・戦中・戦後の歴史をあらためて勉強の紐を解いてみたいと思います。

日本の歴史の一端を知ることも良いと思った。
  暗転時の前での踊りとかが気分転換に良かった。

日本人として重い話でした。

戦争のあおりを受難した国が文化の違いまで支配されたという苦悩が痛い程よく分かりました。

戦争が起こした悲劇な出来事の「族譜」でした。いい勉強になりました。二度と戦争は起こしてはならないと思いました。
  谷六郎さんは仕事とはいえ、説得を命じられてつらい立場だったと思います。孫や娘に改名を説得されたおじいさんももっとつらかったと思います。谷さんの人情味あふれる人間性に最後は感動させられました。

代表者は都合で観られず残念でした。
  ほんの近い歴史的事実をふまえた劇で「重たいテーマであった」とのサークル会員の感想でした。

考えさせられる劇でした。次回は、もっと明るく時流に沿った芝居を見せて下さい。

「族譜」を見て、戦争のため自分の名前を変えなければいけなかったり、若い人が大勢死に悲しい思いをする。戦争に大切な命をうばわれる、良いことは、一つもないと思います。

固い感じのイメージでしたが役者さん全員が懸命に演じてくれて感動しました。
  朝ドラ「おひさま」と時代が重なり、にがい戦時中を彷彿させる場もあり、懐かしいメロディ幾つか口ずさんだり長い時間集中して観劇できた。。

重い劇でした。ずしりと重いけれど、久しぶりに考えさせられる劇でした。創氏改名という言葉も初めて知りました。あらためて、氏とは何か、家とは何か、国家とは何かについて一緒に観劇した人と真面目に語り合いたくなったいい劇でした。

知らないことがたくさんあった。

日本統治下の朝鮮で、日本人下級役人で良心的な谷と朝鮮人地主薛が、「創氏改名」の問題で抜き差しならぬ状況に陥っていくところがていねいに演じられていて良かったです。権力が有無を言わさず人間的な心を引き裂いて行く怖さを感じました。
  「創氏改名」がいかに民族の誇りを奪い、人権を侵害するものであるかを改めて勉強する機会ともなりました。ありがとうございました。

「族譜」がどんなものであるかも知らず。昭和7年生まれの私としては「この人、この本、この芝居」がありがたく「族譜は命よりも大切」と言う。私たちは、日本国の軍国主義が韓国に民族の誇りともいうべき家族制度、特に先祖を敬い、一族の当主が受け継いだ名前に誇りを抱き、次の時代に受け継ぐ付き合い、団結の義務を守ろうとしていることに感動し、学ばせていただきました。そして今の日本の家族制度はこれでいいのかと考えさせられます。
  ドラマは格調高く迫力があり、舞台のどの方も白熱的な演技でした。思わず背筋を伸ばし心から拍手させて頂きました。
  (観劇によって)歴史を知って過去を反省し、どの国もが人間として歴史に恥じない今を生きていかなければと思いました。

過去にはこういうことがあったのですね。難しい内容でした。

4〜5年前から韓流ドラマにどっぷりはまっています。そのドラマの中で戦前、戦中、戦後を舞台にしたドラマ(「野人時代」)がありました。そこでも日本人の刑事は主人公に「キントカン」と日本語読みしていましたが、主人公は自分は「キントカン」ではないと言い続けていました。名前には自分のアイデンティティーがあり、誇りがあるのだと思う。その意味で日本人が韓国人(朝鮮人)に強いた「創氏改名」は相手の誇りや人格をふみにじるもので死をもって抗議するにあたいするものであることをこの劇を観てあらためて痛感した。
  それにしても劇のラストで無邪気に遊ぶ子供たちがなぜか印象に残っている。

学校では、ごく上辺だけのことしか教えてもらえなかった。日本の近代史の過ちを突きつけられたようで、胸に迫るものがあった。
  いつの世も戦争は人間を異常な状態にさせてしまう。戦争は絶対にいけないことだと改めて痛感した。

間の子供達の踊りの楽しく可愛らしさに救われましたが、あの時代の日本の理不尽なやり方に、怒りと、仕方なかった!?とか、考えさせられました。皆さん熱演でした。

帝国主義の世界、欧米諸国が金融資本の独占、原料資源、市場の獲得、軍備拡張の競争と植民地の争奪戦・・・ロシアが中央アジアに進出してきた。弱肉強食の世界を見せつけられた日本は国内では「民主主義改革」を唱え、国際社会には、「国家の独立」と銘打って、国内市場が狭いゆえ、海外市場を求めようとした。国防上経済上手近な朝鮮に鉾先を向け、植民地化を推し進めていった。日本政府は暴挙を繰り返しながら、朝鮮植民地化を達成する。まさに朝鮮人民の悲劇の始まりである。
  「族譜」に登場する一族の当主薜鎮永は実在の人物をモデルにしたものらしいが、ほんの一部の出来事である。日本政府による創氏改名の政策の任にあたっている日本人青年谷六郎は改名を拒んでいる当主の邸宅へ説得に赴くが、当主としての使命感溢れる彼の人柄に感銘し、圧倒される。700年もの長きに渡り、先祖代々継承されてきた「族譜」という書冊を知る。歴史の重みゆえである。政策がいかに彼ら等の人権を侵害し、暴力的かつ非常な手段であるか、任務と良心の呵責にさいなまれながらも、改名に応じるよう説得を続ける。改名に応じない一族に対し、日本政府は次から次へと圧力をかけ当主を死へと追いつめていく。一族の深い絆をも奪い去りついには崩壊させてしまう、愛国心とは一部の国だけに存在するものでない、全世界万国共有のものでなければならない。他人を思いやる気持ちがあれば戦争など起こるはずがない。
  いつの時代も、一部の人物の野望や判断(ミス)で重大な結果を招く。今例会は、朝鮮人の立場から我々日本人に咀嚼しきれない程のメッセージを投げかけてくれた。谷青年が苦悩したように我々が…一人一人真摯に受けとめ再び悲劇を繰り返さない、そして自由な世の中になった今こそ、真実に目を向け自分の言動に責任を持ち、相手を思いやる気持を保ち続けることが求められていると痛感した。
  冒頭は暗い雰囲気の舞台と感じたが、進行するにつれ内容の深さや洗練された韓国舞踊に託された朝鮮人の怒りと悲痛な叫び、子供たちの無邪気なようす、死神の舞…全ての人達の思いが心に響いた、市民劇場でなければ観ることのできない作品だとOさん達は語った。全く同感である。
  すばらしい舞台、たくさんの出合いに感謝したい。
 
  “出合いとは新しい自分を発見することである”
  (ある日訪れたパスタのお店…メニューの近くにさりげなく…)

私は歴史の知識と韓ドラの歴史ものも結構みた結果、薛鎮永さんの支配・知識階級が持っていた価値観は了解可能ですが、偏った教育を受けた当時の日本人には無理だっただろうし、興味が無かった人にも難しいのではないかと思います。
  その辺を理解してもらうため、玉順さんに多くを語らせたのが、
  お芝居としてみた時に、楽しみ切れなかった気がしました。
  どう終わらせるのか期待していましたが、あれ?という感じでした。

人間を狂わせる戦争という行為が絶対悪であるには違いないけども、その渦中にある一個の人間同士の関わりの中では、どちらに全面非があるのかはわからなくなる…話が進むにつれて、だんだんそんな、ただ、哀しい思いにとらわれました。当然、今回の事件だけに注目すれば、誰がみても日本国のやりかたに、非人間的だと非難は集中するでしょう。でも、一個人として、最後には自分の行動を謝り続ける谷六郎が、400年前の秀吉の朝鮮征伐の話まで遡られて、日本国民として責任を問われるのに疑問符が生じたのはわかる気がするし、それなら、私たちはいったいどのくらいの歴史に対して、国対国で責任を負うべきなのか…。今こういうことを知った今の時代の自分のことを思うと、だんだんわからなくなってきました。ただひとつ、言えることは、真実を知ることが大事だということ。重い芝居でしたが、この作品に出会わなければ身を持って知ることもなく、今回は演劇鑑賞会ならではの力を発揮できたように感じました。
  印象に残ったのは、谷が亡霊に取り囲まれるシーン。「相手の気持ちを理解する」と簡単には言いますが、本当にそれができているかどうかは「完全に逆の立場ならどうか」という想像力が十分あってそれを発揮しているかどうか…です。谷は基本的に善人で、玉順さんの気持ちを察してお詫びをしていましたが、やっぱり「夢から覚めて、現実ではなくて、よかった」と、つい口が滑りました。本当に相手の気持ちになれるか、はつくづく難しいことだと感じました。

今、韓国ドラマを見てるのが丁度朝鮮戦争時代で 「族譜」と同じでした。
  俳優さんの動作が韓国のかたなのかと思うほど 一つ一つ細やかに演技されていて驚きました。
  よかったです。

戦争の中、民族の誇り、格闘を垣間見ることができ、考えさせられました。

スッキリするためにパイレーツオブカリビアンを見よう!!終わった時の率直な感想でした。
  夜、東京電力の注水の誤情報のニュース、原発を守ろうとした為に所を追われた福島の人々、翌朝「おひさま」で死を覚悟し戦地へ赴く主人公の兄。「族譜」の舞台で国家権力に運命を変えられた朝鮮の人々だけでなく、今も世界に国や大企業の横暴に苦しんでいる人がいる。そういう目線で前よりも見ている自分がいるのに驚いた。
  「族譜」はすごい。今は未完の対局が見てみたい。
  主人公がどんな絵を描いたかを想うと面白い舞台でした。
  皆さんはどんな絵を描いたと想像しますか?

あらためて日韓併合について考えさせられた舞台だった。

今に続く韓国の人たちの強い反日感情の根源を観た思いがした。国が無くなり、国語を奪われ、文化を奪われた朝鮮人の屈辱感は想像に難くないが、それより決定的だったと思うのは内鮮一体化政策の下で日本人にされた朝鮮人民が日本人の義務としての徴兵制により戦線に送り出されたことなんだろうと思う。この恨みが薄らぐには数世紀を要するだろうと思う。
  創氏改名を頑なに拒み続けたソルジニョンが孫たちのために改名を決断し、苦渋の思いの中で歌い踊る「アリラン」の迫力は圧巻であった。思わず涙がこみ上げてきた。分かりやすくて見応えのあるいいお芝居だった。

今回のお芝居は深く考えさせられました。時々のスポーツの対戦で日本に対してとても熱くなる韓国の人々の気持ちが分かる気がしました。

帰り道、娘が「私達が知らない時代の話だが、でも知っておかなけらばいけない事だネ。」と話し合いながら帰りました。私は始めから暗い気持ちで観ていました。

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

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