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米倉斉加年さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問44

  海流座公演「新・裸の大将放浪記」鳴門例会(2010年11月26日)で“銀玉(易者)”役をされる米倉斉加年さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

  米倉さんは、頭に毛糸で作った帽子を着て入って来られました。

  その帽子は、先ほど子ども連れの会員さんが来られて写真を撮らせて欲しいとのことで一緒に撮ると、お礼にと言って一夜で編んだ帽子をいただいたそうです。「ちょうど頭が寒かったので冠っています」と喜んでいらっしゃいました。

米倉斉加年さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
早速ですが、今回の芝居の観どころをお聞かせください。
米倉斉加年(敬称略以下米倉と略)
お年寄りから子どもまで理屈抜きにして楽しんでもらえます。そして、新劇としての歴史的役割も大きな芝居なんだね。
最初の新劇は西洋の翻訳劇、しかも1ヶ月に何公演もやる。先輩たちはそういう中で鍛えられ、育っていったんです。そして、1930年代には自由主義思想が弾圧を受け始め、そこに政治的な考え方や自由主義者が緊急避難的に新劇の中に逃げ込んできたんです。そうするうちに治安維持法が出来、先生である宇野重吉、滝沢修さんらは捕らえられたりもした。それらを潜り抜け、潜り抜けやっている新劇の流れの中で、戦後になり本来の演劇とは何かを求めていくようになりました。そうした時、宇野先生は、ある労演の事務局長にこう言われたんだそうです。「おっかさんや近所の人が見に来ません。」と。その言葉に奮起して、先生は「何を言っているんだ、親や近所が観るのが芝居じゃないのか」、と言って、理屈っぽくなく近所の人が観て楽しめるものを作り始めたんですね。あの頃の新劇の流れの中では、これは初めての試みだったんです。
そして、「新・市民劇」と位置付け、取り掛かったのが『赤ひげ』と『裸の大将放浪記』なんです。そういう背景もあり『裸の大将放浪記』は大事な芝居なんです。ひとつの財産です。まず、素材がいいんですね。山下清さんは時代を超えてとっても素敵な人間像なので、この人をずっと描くことで、いろんな日本の時代の状況を取り込むことが出来るんです。しかも非常に笑える。お客さんはずっと笑っているが、その間に、ちょっと知恵遅れの人を馬鹿にしている自分たちの愚かさに、どっちが馬鹿なんだろうと気づくんですね。例えば、芝居の中で、戦争時に日本人全体が狂人のようになって戦争に向かう時、一人の青年が「死ぬのは怖い」という場面があります。本当の人間のあり方を示した場面ですね。大衆的で面白い、というのは人間がどう生きるかということを描けているかどうかです。
この演劇の持っている本当のエンターテイメント、娯楽性は本当に人間を生き生きさせるんだね。しかし、そういうものは戦争中には弾圧された。政治的な内容でなくてもそういうものを弾圧するのが戦争なんですね。それはおかしいですよね。やはり皆が生き生きするような言葉を持った芝居が一番いいですよね。笑うことでいろんな免疫性が高まり、長生きするって言うじゃないですか。素敵なものは、理屈も、屁理屈も、難しいことはいらないんだね。人間が仲良く、人を差別せず、人を馬鹿にせず、笑いながら生きていく、そういうものがいっぱいこの芝居の中には含まれています。
余談ですが、僕の弟は、戦争中栄養失調で死んでいったんだよね。その母のこともこの芝居の中に書き足してあります。全部を書き直してありますから、新しいことがたくさんあるんです。芝居が長くなるため、宇野重吉先生が出る場面で、カットした部分もあります。この母と弟のことは絵本『おとなになれなかった弟たち・・・』、それが教科書にも載っています。本当に母親たちは、自分は食べないで子どもや家族を育てていたんです。これらの事実を、皆さんには笑いながら観てもらえるように創っています。だから、帰る頃には笑いの中にあったいろんなことが自分の中に思い出として、どこか心の中に少しでも残ればと思うね。そういうことを考えて創っています。
それと、芝居は観客が作るものなんだね。いい心がいい芝居にするんです。芝居にはいろんなメッセージが込められているんです。観客がそれを自然に引き出してくれるんです。
難しいことをいろいろ話してしまいましたが、質問が悪いんだね。質問はもっと具体的なことでなければね(笑)。
鳴門
でも、興味深いお話をしていただきありがとうございます。鳴門に来られたのは今回が初めてですか?
米倉
僕が初めて四国に来たのは、45,6年前、大橋喜一さんの『コンベア野郎に夜はない』という芝居です。30歳の頃でした。主役の17歳の役で全国を回ったんだね。そしたらね、その芝居をみた人がタバコを吸っていた僕のところにやってきて言うんですよ。「お前は17才だろう」って、20歳の青年に(笑)。
鳴門
お仕事は大変でしょうが、体を鍛える方法はなんですか?
米倉
何もしていないですよ。特別に運動をしなければなんない程、普段の生活で楽をしてないですからね。今朝も歩いてきたんですよ。フロントでタクシーを呼んでもらおうと思ったら歩いて20分ぐらいと聞いたので。地図を見るのが面倒たっだので、フロントの人の言うように歩いて来たんだけど、途中道が分からなくなってね(笑)。川に沿って歩いて行くと大きな建物が見えて、たどり着くことができました。ただ、一番手間取ったのは楽屋の入り口を探すことだったね(笑)。
食べ物に関しても良く砂糖の入れすぎだ、少なすぎだという人がいるが、僕はバカヤローと怒るんですよ。二度と戦争が起こらないように、九条を守り、戦争に反対するのはうまいものを食うためなんですよ。大事なことなんです。俺の弟は砂糖の一杯がないために死んだんだ。生きるってことは食べること。今の時代、「うまいもの」の考え方がおかしいと思うんだよね。「金が高いものがうまい」とかなんとか言っているがそういうものは「うまい」とは言わない、僕が言う「うまいもの」は「毎日食べて飽きないもの」、日本人なら、米であり、梅干しであり、漬物なんだね。それを食べることで生きる。
年をとっていくと辛いのは、もう死ぬとわかっていても死なないような顔をしなきゃならないことなんだね。さっき、『コンベア野郎に夜はない』で四国に来たって言ったけど、それを書いた大橋喜一さんは今93才で、生涯原爆の事を書き続けているんだね。旅に出るときはいつも大橋さんとも毎回もうお別れかもしれないって思うんだね。だから、広島に行ったときには携帯電話で、今慰霊碑の前にいるんだよって話するんですよ。僕もそろそろ死にそうだし、死んだら広島と長崎に灰をまいてくれってね。
そうそう、今日、知らない人が孫を連れてきて、一緒に写真を撮らせてほしいって来たんだね。写真をとると、これ一晩で作りました、と手編みの毛糸の帽子をくれたんだね。(頭の帽子を示し、嬉しそうにしていた。)僕の中ではこういうものが演劇なんだね。人と人との交流。これこそが演劇なんだね。こうやって話しているのも一緒なんだよ。
鳴門
子供の教科書に載っていた『おとなになれなかった弟たち・・・』のタイトルを見た時、これは読まなくっちゃと思い読みました。最後の写真を見て、「ちりとてちんのおじいちゃんが書いとったんや、絵も描いていたんや」と感動しました。
米倉
絵は旅の途中で描いたんです。なぜ始めたかというと、舞台だけでは一生は食っていけないだろうな、と思ったからなんだね。旅回りに出ていると働けないから。僕の絵を見て、気持ちが悪いとか下手だとか嫌味を言うのはいたが、絵描きとして一番に認めてくれたのは宇野先生でした。ある時、皆がいなくなったところで、テーブルを拭き、電気スタンドを置き、絵を書き始めたところに先生が帰ってきて「おお、仕事をしているのか」といってくれたんですよ。先生は、僕がなんとなく絵を描いていることは知っていたんだけど、色紙に書いた絵を見て「斉加年、お前は色紙に絵を描くな。将来お前の絵が有名になったときにその色紙を売るやつが出てくるかもしれないから。あはは!」と言ってくれたんです。
実は、宇野先生も絵はうまいんですよ。でも先生の絵は僕のとはまるっきり違う絵です。でも、その先生が僕の絵を始めに認めてくれた。嬉しかったですね。
宇野先生の語りで、聞く絵本『おじいちゃんのむかしばなし』を出した時の挿し絵は僕なんです。でもその時は先生好みの絵にしましたね。
大橋喜一さんの舞台『銀河鉄道の恋人たち』では、広島の平和公園で豆を買って、ばら撒いて、鳩が集まったところで驚かすということを何度も繰り返して、何時間もかけて飛び立つ2−3羽の鳩を書き、それを組み合わせて100羽の鳩の背景の絵にしたこともあります。
でも僕の鳩は黒なんです。みんなはカラスかというが、ピカソは白、僕は黒。今の日本には平和はない、白い鳩はいない。だから僕は本当の平和がくるまで、黒い鳩が白い鳩になるまで書き続けるんです。
鳴門
最後に会員に向けての言葉をお願いします。
米倉
会員が減っても減っても会を閉じたらだめですね。鳴門市民劇場が無くなったら芝居は出来ないですからね。会費がなかったら海流座制作の釘崎さんに言ってください。ギャラがなくても、旅費と握り飯さえあればきますよ。どんなに少なくなっても続けてください。
芝居はどこででも出来るんです。でも良い芝居は良い観客がいないと出来ないの。皆に観てもらうために芝居をするんで、皆さんがいなくなったら芝居を作る当てが無くなる。皆さんの顔を思い出しながら考えて創るんですから。今日ここで舞台が出来るもの皆さんがいらっしゃるからで、ほんとうに有難いことです。
米倉斉加年さんとインタビューア

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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