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「流星ワゴン」

劇団銅鑼

鳴門市民劇場2010年7月10日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

あのようなオデッセイとの出会いの旅がなかったら一雄の一家はどうなっていたのだろうか。
  窮地に立った時、救ってくれるのはやはり親の愛……。 それに気づき、家族関係再生の方向に繋がり、ほっとする。
  あらためて親子、そして家族の絆の深さ、大切さを立ち止まって一考する機会となった。
  それにしても、最近の育児放棄による幼児の死亡や虐待、100才超の高齢者の死亡放置や所在不明等の痛ましい問題はなんとかしなければ……。

脚本も読んで観劇に臨んだが、イマイチ理解しがたい所があり素直にストーリー展開になじんでいくところがなかった。
  他の会員の観劇感想を聞くと「よかった」という方、「なーや分からんうちにすんだァ」という方と二極に分かれているようだ。
  「死んでもいいかなあ」と思った時、ワゴンが現れて、父親と同乗していろいろと今まで語り合われてなかったことを会話して、関係を浄化・深化していく。ラストは父の告別のときに、自分自身の家族の再生のきざしをうかがわせ、観る者にホッとする気持ちを呼び起こし終了。
  いろいろと思ったり、考えさせたり、悩んだりする所もありが観劇のよいところかな。

大好きな重松清さんの世界をこわさず、とても素敵な舞台でよかったです。

同じ日本人だと感じました。

センチメンタルで切ない話だったが、最後に主人公の一雄が
  最低の現実の中にも一縷の希望を抱き「死ぬより生きている方がましだ」と言ってくれたのが救いだった。
  私は私が親になる前に父親を亡くしているが、生前好きになれなかった父親のこと思い出し身につまされる思いで観劇した。

現代の人の生き方、家族の絆、どこかへ忘れてきているように自分の生き方を考えさせられたようでした。

言葉の聞き取りにくいところがありました。
  役者さんの一生懸命な演技は感心しました。

誰でも過去に帰ってやり直したいという思いがあるけど、やり直すことはできないので、常に前を向いて歩いて行かなければいかないと改めて感じさせられました。気持ちの持ち方次第で困難も乗り越えられると思いました。
  上演中の携帯電話や私語等、マナーの悪さをいつも感じます。とても残念です。客席も舞台の一部ということをもっと意識して頂きたいです。

現在の家族の様子を諷刺し、様々な出来事を通して、観る人の思いゆさぶるような感動的な場面が多くあり、私たちの生活を反省させられるボクの演出は大変よかったと思う。

話題になった小説の舞台化ということで期待して観ていたが、期待通りだった。
  いつも舞台装置に注目しているが、天井中央に設置された装置が光、煙とともに時間の移動をうまく表現していた。
  過去にさかのぼり、人生をやり直せたら…と思うことはままある。自分の気づかないところで家族が苦しんでいることも……
  自分と重ねあわせて考えさせられる舞台だった。

……印象を忘れてしまわない為に……                
  これまで見た劇とは少し違った種類の劇のように思った。現代家族の深刻な問題を正面から取り上げていて、しかもそんなに重くなく、まじめな共感を得つつ、幕が下りた時何かすがすがしいものを感じることが出来た。
  リストラ失業、親父の危篤、息子のいじめ、家庭内暴力、夫婦間の亀裂、離婚の危機!それまで昇り調子で幸福そうな家庭から一転して苦難が一拠に襲ってくる。「こんなことになっているとは思いもしなかった」「死んでもいいなあ」と思い始めた時、不思議な出合いから幽霊の運転する「流星ワゴン」に乗せられ、過去の自分の大切な時間にタイムスリップする。幽霊の他に危篤の父親がボク(一雄)と同年代の「チューサン」になって同行してくる。この「チューサン」が生一本でたくましく「放っておいていいのか?」「お前はそれでいいのか」と問い掛けながら、嫁の浮気相手を殴りつけたり、鬱屈した孫のパチンコ制裁を受ける。チューサンに何度言われても、はっきり決心できなかった一雄が「これからも、今のままでも生きていきたい」という気持ちになった時、流星ワゴンは消え失せ、元の現実生活に戻る。
  親父はあの世に旅立ち、一雄が家のごみ掃除から行動し始めた時、一切の辛苦は自ずから氷解していく、反撥してきた親父の広い心、奥底のあこがれ、家族に対する無二の宝のようなものを感じながら会館を出た。一瞬、般若心経の「五蘊皆空、度一切苦厄」を想い出した。

なにもかもうまくいかず死のうと思ったこと……、そんなことはないのだが、毎日のように「人身事故のため、○○線が遅れて運行されています」のテレビに字幕がついているのを見ます。
  その度にこの作品のことを考えてしまいます。
  幼い頃、父親の生き方を嫌っていても、そこには自分の知らなかった一生懸命子供のため、家族のために生きてきた父親が見えた。自分ももう一度頑張って生きてみようと思うし、また親はいつでも、子供の命を守ろうと必死になっている姿を見たとき、
  頑張って生きなければいけないとだれでも思うでしょう。私も、父親の生きた道を考えたこともなかったのですが、この作品に出会って、父親の頑張って生きてきた話を聞く機会を持つことができました。そこには、精一杯生きてきた満足感あふれる顔を見ることができました。
  そして、感謝する気持ちも……。
  確かに重いテーマを含んだ作品ではありましたが、この作品に出会えて本当によかったと思いました。

よかったです。

夢と現実、少しわかりにくかったという声も聞こえましたが、複雑で生きにくい社会の中で親と子が少しわかりあえただけで、ホットするものがありました。
(役者さんも、後かたづけされているのにびっくりしました。)

私も夢の中でいい、流星ワゴンに乗る事ができたなら、30〜40年前に、子供達ともっと話をすればよかった。夫婦二人とも仕事が忙しく余り話せなかった様に思う。でも子育ての時は、年令的にも忙しく、子供達も今その年令、分かってくれると思う。
  人生色々、人間最後の時によい人生であると思えれば幸せだそうです。永田さん一家も分かりあえると思います。

若く真面目な劇団員の心が伝わりました。特にあの世代の家族は、身にしみて考えさせられ、感動もひとしおだったことと思います。自分の娘たちが(今はあの世代を通り越していますが)その時期どんなに頑張っていたかを思い出しました。(あんな特別な事件はなくても、いろいろ苦労がある時期でしょう)改めて、平穏な今を幸せに感じました。

久しぶりに「演技を観る力」が試されたような作品に思えました。できるところまでそぎ落とした舞台セット、現実と非現実を行き来するストーリー。想像力を働かせず受身で観るだけでは、心に入って来なかったと。数年前に原作を読んで大変感動し、楽しみにしていた作品でしたが「文字を読んで想像する世界」と「ニンゲンがしゃべって演技する場面から想像する世界」とはまた開きがあるなあと、改めて感じた作品でもあり、私の中では本を読んで描いていた「チュウさん」「橋本さん」と舞台上の「チュウさん」「橋本さん」にギャップがあったのがちょっと残念なところでした。ですがもちろん、「同じ年齢で親に会ったら(もっと理解しあえるだろうか)」いう最近やや流行りの発想とどんな状況でも生き抜いて……という今の時代に多分とても必要なメッセージは本を読んだとき同様、とても心に響きました。

「流星ワゴン」面白かったですね。未来で起きる悪いことがわかっていても、それを変える事ができないもどかしさ、、はがゆい感じですが、仕方がないのですね。

一番前の席で役者さんの一生懸命さがよく伝わってきました

つかこうへいの感性にくらべて、きのうの芝居があまり理解できなかった自分の愚鈍さにあきれています。

感想ですかう……困った。何がといっても言葉にできません。ただ、自分が、いろいろな年代に逆戻りが出来て、その時の自分にアドバイスが出来るとしたら、未来「人生」がどのように変わって行くか、ワクワクしますが、しかし実際はそんなに甘くない。
  ……以前 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」・漫画「黄昏流星群」のようにハッピーエンドに終わるのかなと思ったけど……しかし現在に戻ってしまうと何も変わっていない。意味深々な感じがしました。
  9月例会「あなまどい」……平日ですね。参加させていただきます。また感想しづらい作品のようですね。
 
 公演中は私語、雑談は控えるべき、台詞が聞こえない、イライラする。「携帯電話の案内」……公演中の私語、雑談」も案内に

子どもさんが見にいらしていたかわかりませんが、大人向きのなかなか難しい内容だったなと思います。
  私は結婚していませんが、ちょっと結婚が怖くなるところもありました。

流星ワゴンは最初の方を見逃しましたが、中盤で一般人を徹底的に痛めつけている父親に対して主人公が「父さんのそういうところが嫌いだったんだ」というような意味の言葉を言うシーンが印象的でした。男性は誰でも程度の大小の差はあれ、父親に対して反発心を抱いたことがあると思います。人によってはその気持ちが非常に強く、父親を反面教師のように扱うことで全く逆の人生を歩もうと努力するようです。私もその一人だとずっと思っていたのですが、追い込まれて厳しい判断を迫られる時ほど、無意識に父親のように振る舞っている自分がいることに気づかされました。
  「父親も父親なりに頑張って生きてきたんだ」と思ったら、反発心も以前ほど感じなくなりました。

流星ワゴン、ちょっと想像力にかけるのか、正直言って途中で眠くなってしまいました。それと今回 前の方で空席がありましたね。ちょっと役者さんに悪いのでは?と思いました。

シンプルな舞台装置で、しかも声の聞き取れない人が二名あり、新しい劇団で一生懸命さはよく感じられたが、あらすじをよく読んで行ったのに感動できなかった。

残念だがこのたびの例会は理解が困難だった。
  カバンの中からハンドルを出し運転をするシーンもその一つだ。車のシーンと言えば「ドライビング・ミス・デイジー」とダブって仲代達矢さんと奈良岡朋子さん共演のあの車の効果音を思い出した。ドアの音と仲代達也さんの動きがぴったりだったあの場面本当に素晴らしかった。その時とは別だが、きっと名場面があるだろう……と思いつつ終わってしまった。
  また、携帯電話のマナーについても少しくど過ぎると思っていたが、守れていない人がいて良い場面で鳴っていたのもあってスッキリしない例会になってしまった。

今の時代不景気だから、どうしても両親が子供に期待を掛けすぎて子供の意見を聞いてあげずにいる。家族皆でコミュニケーションをとる時間がないのかなと思います。子供も一人の人間だから自分の考えを持っているのです。

親子関係はちょっとしたことで気まずくなります。病気で死にそうな親も、生きている子も何かをひきずってゆくことになります。さびしいストーリーです。もう少し笑える場面もほしかったです。

「流星ワゴン」の終演後、知り合いに「今日の舞台は、どうだった?」と肩をたたかれました。皆さんは、どうでしたか?……
  現代社会で、就職のリストラ、家族との対話、熟年夫婦の離婚、子供の家庭内暴力、さまざまな問題をかかえている人たちは数え切れないくらいあると思います、自殺する数値も上がっています。
  永田一雄の乗ったホンダ・オデッセイの車はどこへタイムスリップするのでしょう……・親と子・孫・家族という絆に結ばれた関係も、いつか何処かで絡まってしまうのが人生だと思う。
  オデッセイの2時間ドライブで親の気持ち・子供の考え・妻の悩み・死直前の父との交流・ちょっぴり切ない悲しいメルヘンな旅でしたが、一雄にとって転機となるよい旅となりました。人生は、努力次第頑張ってね。
  結成5年目という劇団銅鑼公演でしたが、出演者の中でこの人という個性のある演技があれば舞台は素晴らしかったと感じました。


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