青木力弥さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問25

青年劇場公演「菜の花らぷそでぃ」鳴門例会(2007年5月21日)に“稲葉鉄人”役で出演される青木力弥さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

青木力弥さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
今日はお忙しいところどうもありがとうございます。実はですね、鳴門市民劇場が8年前に独立したとき、第1回目の例会が青年劇場さんの「愛が聞こえます」なんですよ。その節は大変お世話になりました。
青木(敬称略)
同じ高橋正圀さんの作品ですね
鳴門
前回青年劇場さんに来ていただいたのは青木さんが出演されていた「キュリー夫人」で、非常に楽しいお芝居でした。今回、「菜の花らぷそでぃ」で四国を回られての反応はいかがでしょうか。
青木
皆さんがよく共感して下さって、よく笑って下さるのはすごいですね。お客さんの気持ちがこちらにひしひしと迫ってくるみたいで、こちらが舞台で感動してしまうようなことがありますね。
鳴門
この作品は私達が待ち望んでいた作品で、とてもタイムリーな話題ですよね。私も数年前に観せていただいたのですが、お芝居としてはディスカッションする感じもあり、難しく、大変だったのではと思うのですが。
青木
そうですね。7年前の初演の時はそういう台詞が多かったですね。アメリカから小麦粉が輸入されてやっていけない等とディスカッションする場面が多かったんですけど、今回はそういうものは結構なくなってるんですよね。ディスカッションドラマじゃないですね。どちらかと言えば人情喜劇なところもあるし、社会派喜劇ともよくいわれるのですが、お客様はリラックスして観てくださっているんで。私は文句ばかり言っている役なんですけども。
鳴門
「日本の農業においては……」などと、難しい台詞が多いのはではないかと感じるのですが。
青木
私は元々百姓の出身ですから意外と土の問題にはなじみやすいというか、子供の頃から、親爺と一緒に田畑を耕してましたからね。菜の花とか大豆・菜種なんかも、今の農法とはまるっきり違う昔ながらの農法の堆肥とか下肥でやってましたから。だから、親爺と口をきかないという経験もありまして、そういう意味では私の親爺を思い出しますね。
鳴門
青木さん演じる親爺さんの方に共感をおぼえました。息子さんにはあまり……。
青木
それは新しい事をやろうとしている農法ですから、今はまだああいう農法がどうなるかわからないから。親爺のはどっちかと言えばこれからの農業にも繋がる昔ながらの考え方なんですね。「身土不二」という言葉に代表されるように、農薬は使わない、遺伝子組替え食品は使わない。地域の環境をよくしないと農業はよくならないんだ、農業を大切にしないと人間もよくならないんだという考え方を持ってますから。頑固ではあるけど共感を持ってくれたらいいなと思って演じています。
鳴門
今の日本の農業はどういう状況なのかというのがよくわかりました。よく書けているなと思いました。
青木
本当に日本の農業は猫の目行政といわれるように、ぐるぐる変わっています。だから高橋正圀さんも書換え・加筆ということを繰り返していかないとお客さんにも共感してもらえないと思いますし、そういう意味では大変気を使っています。
鳴門
青年劇場さんは、日本のおかしいところに問題提起するような作品が多いような気がしますが、その路線ばかりなんでしょうか
青木
他の劇団も政治的な問題を扱っている劇団も多くなりましたよね。ドラマってのは人間を描くわけです。人間は社会の中で影響されて揺さぶられて生きているのだから、そこを描かないと本当の意味でのドラマは生まれてこないわけですよね。特に高橋正圀さんは現実を描きながら人の心の機微・人情・人間のふれあいを描いて喜劇にしている作品が多いですね。ジェームス三木さんはもっと政治的なものが多いですね。
鳴門
「翼をください」では落ちこぼれ高校生にエールを送っているような作品で、当時は学校間格差が社会で問題になってましたね。青木さん自身農家のご出身と言われましたが、この作品を演じて変わったこととか共感を得たこととか、農業や食の問題で何かありましたか。
青木
それは変わりましたね。「食」と言う字は「人に良い」と書きますよね。スーパーに行くとアメリカやヨーロッパのものや赤や黄色の煌びやかな野菜がよく並んでいますね。また、北海道の作物が九州で販売されたり、遠くの食物が良いものだと思っていたんですよね。ただそれは遠ければ遠い程運賃もかかるし時間もかかる。防腐剤が使われたりもしますよね。意外と遠いものは珍しいけれど身体には良くないんじゃないか、と芝居をやってて思うようになりましたね。「身土不二」という言葉、芝居に出てきますが、私が「身土不二」という言葉を辞書で引いたけれど載ってないんですよね。
鳴門
お芝居の中でもそういう場面がありますよね
青木
ええ。私は広辞苑ならあるんじゃないかと思ってたんですが、ないんですよ。日本流では地産地消とかいいますが、あまり「身土不二」にピタっと当てはまる言葉はないんですね。日本ではそういう考え方、本当に大地で取れたものを人間が食べ、食べたのもが大地に帰って、人間も大地に帰って……。そういう循環を繰り返しながらずっと地球は存在してきたんですよね。ところがそれが100年くらい前からいろんなものが循環に中に入ってき、人間が身体を壊したり、いろんな病気が増えたり、森林が切られたり、海が汚れ、川が汚れ、今まで住んでいたいろんなものが住めなくなってきている。そして農業にも問題が生じてきて農業本来の役目が果たせなくなる。「身土不二」という言葉は地産地消という事だけでなくて地球の循環・大地の循環によって保たれている、そういう事じゃないのかな。僕らの小さな頃はそれこそ堆肥だけで化学肥料・農薬は使ってなかったですからね。この間納豆事件がありましたね。身体に良いという事で皆がバッと買ったってことは、皆食べることに非常に神経を使っているということですよね。おそらく食品の裏側の表示までキチンと見て国産のものを買おうという気持ちになってきている。遠いものが美味しいと思っていたけどそうじゃない。旬のものには生気がある。枯れたものではなく生きたものには虫もつかないしね。人間が子孫を未来永劫残していくにはそういう健康なものを食べないとね。今、日本が遺伝子組み換え食品等の実験場になっていると言ってもいいですよね。外国から食品がどんどん入ってきて……。だから消費者がこういうものは食べない、ってならないといけないんです。山下惣一さんも消費者が頑張らなければダメだと、消費者がこういうものを食べたいって言えば日本の農業はよくなっていくと言ってますしね。
鳴門
この芝居は食べる場面と飲む場面が多いですね。しかもおいしそうに食べていますよね。
青木
あれ全部本物なんですよ。ビールだけは違いますけどね。前はノンアルコールだったんですよね。ビールの香りも味もするんです。ただ飲んでいると気持ち悪くなっちゃうんです。ビールだとアルコールが入っていると思うじゃないですか、それが入っていないからだんだん頭にきちゃう。不機嫌になるからダメなんですよね。だから今は麦茶にしています。
鳴門
その舞台に登場する食べ物はどこで調達しているのですか。
青木
係りが調達してきています。舞台の袖にご飯のお釜が置いてありますよ。毎日袖で炊いています。味噌汁も作っています。
鳴門
では今日も舞台の袖にはお釜が。
青木
ええ、炊いている最中です。
 
鳴門
ところで、この作品は基本的に親子の問題という大きなテーマがあると思いますが。その対立は農業に関する考え方の違いからのものでしょうか。
青木
そうですね。今メダカとかが棲めなくなってきていますよね。この舞台で象徴的なものとして蛍が出てきます。蛍が飛べるということは川が綺麗だということです。そうすると田んぼも綺麗になる。そういう綺麗な農業をやりたい。そのためには皆が協力しなくてはならない。一人だけが農薬を使ったらそれが周りに影響を与えてしまいますからね。二幕の終わりにそういう事件がおきます。皆一生懸命だったのに、一人だけが農薬を使ったから皆がダメになってしまい作物が売れなくなってしまいます。食文化ってのは地球温暖化といわれている中で、農業をきちんとやれば必ず貢献するはずなんですよね。だから今は里山が壊れ、農村自体が壊れていますよね。本当は農業って楽しいことなんですよね。山下惣一さんも作物を作る時はどんなに楽しいか、どういう作物ができるのかそれが嬉しくて、とおっしゃっています。一人の人間がお米を作るのは一生で50回くらいでしょ。
鳴門
そうですね、年1回ですからね。
青木
自動車なんか1年に何台も作れるからね。農業ってのは、それこそ豆や麦にしても年1回しかできない。1回作るために1年中耕したりするわけですね。とても楽しいことなのです。それなのに、売る段階で頭にくる。なんて安いんだと。作った手間賃にもならない。だからそれが少しでも潤うようにならないと。日本の農業の自給率は40%くらいですかね。30%を切っているのもある。農家の人がよく言うんです。自分達が食べるのもは日本人が作らないと、って。オーストラリアは旱魃、アメリカも農業用水を汲み取ってまいているような大農式ですから、地下水が無くなっているわけですよ。舞台で、アメリカからやって来たキャサリンも、大きい農業はダメだと盛んに言うんですよね。日本は家族営農式で一家で責任をもってやっているんですよね。それが今工場化されて脅かされている。4ヘクタール持っていないとダメで3ヘクタールだと助成金がつかないんです。4ヘクタール以上持っていて実績がないとダメですからね。そうするとやっていけない農家がすごく多くなっている。この芝居で、食べるものはどういうものが良いのか等を考えてもらえるきっかけになればいいんじゃないかと思います。
鳴門
鳴門は稲作が少なく、畑作が多いんです。鳴門以外にはまだ米作も多いんですけどね。舞台は米作農家でしたよね。
青木
みかんもやってます。
鳴門
昨日公演された阿南あたりは米作とみかんをやっているんですよ。
青木
そうなんですか。去年、東北と九州を3回ったんですけどね、東北は水田が多くて九州は畑が多かったですね。
鳴門
舞台のバックに青々とした広い田んぼが見えているのは良いですよね。
青木
あの家ってのは開けっぴろげなんですよね。鍵をかけない。誰でも入ってこれる。
鳴門
舞台でもお医者さんは庭先から入って来てましてたよね。
青木
昔は隣近所の人は縁側から上がっていたんですよ。玄関から入らない。
鳴門
昔の農家はどこでもそうでしたよね。
青木
そういう人間関係がいいんだなって見てくださる方がおっしゃるんですけども、人間付き合いがいいですよね。
 
鳴門
ところで先ほど実家がお百姓さんだったとおっしゃっていましたが、どういうきっかけでこの世界に入るようになったのでしょうか。
青木
親爺が芸人だったんです。歌舞伎が好きで、「力弥」って名前をつけられて。
鳴門
本名だったんですか。
青木
そうです、本名です。親爺が仮名手本忠臣蔵の「力弥、力弥、由良之助はまだか」ってあの場面が好きで、大星力弥の力弥から名前をつけたんです。おばあちゃんからも力弥は役者になったらいいね、なんて言われてね。家は五反百姓で貧農なんですよね。だから親爺と二人で漁業もやってましてね。子供の頃は戦時中でしたが、漁にでると女は半人前、男は一人前貰えるんです。男なら子供でもどんなにちっちゃくても仕事に出れば一人前貰えるわけで。だから私は小学校の頃から漁師をして櫓(ろ)を漕いで大人と一緒にやってました。農業はある程度力がついてから中学校後半から高校時代に。五反百姓だったので田畑を分けてやるわけにはいかないからとお尻を蹴っ飛ばされて東京にでてきたわけです。
鳴門
高校卒業したくらいの頃ですか。
青木
そうですね。実は音楽もやりたかったんです。絵も好きで中学校の頃は表彰されたり。でもどうしてもお金がかかるんですね。特に音楽なんがピアノのレッスンをしなくてはならないし。ある程度やったんですけども、20歳の頃ハッと思いついたんです。役者だとなんにもいらない自分の身体だけでいい。ずいぶん安上がりにできるんじゃないかって。それで、ある劇団の養成所に行ったんですよ。やっぱりね、身体だけでよかったんですよ、あまりお金もかからない。ところが役者っていうのは身体だけといってもやっぱり人間を描かなきゃならない、人間を知らなきゃないけない。それでいろんな演劇をやっていくうちにいろんな問題にぶち当たりましたね。どんな人間がいいんだろう、悪いんだろう、どんな社会がいいんだろう、自分はどんな人間になりたいんだろう、いろんな問題がありますね。例えばクラシックバレエとかピアノ・声楽なんかも大変な技術が必要ですね。俳優もいろんな技術を勉強しなきゃならない。でも俳優は技術だけではダメなんだ、人間を描かなきゃ、と思いました。技術だけでやってる俳優も結構おもしろいけど、でもやっぱり人間が描けてないってことがあって。人間や社会を勉強することが、俳優として成長するにはとても必要ではないかな、って思いましたね。
鳴門
「菜の花らぷそでぃ」の公演はすごい回数を重ねられてますよね。初めにやっていた頃と今とでは何か違いがありますか。
青木
違いますね。相手との関係もね、初めの頃は稲葉鉄人というのはこういう人間だってガンガン相手構わずやっていたんだけど、相手がこう言ってきた時単なるオウム返しじゃなくて、それが一回心を通って、重みをもって出なくてはならない部分がたくさんありましてね。自分の息子に言われた時に、単なる反論でなく、自分の後を継いでもらいたい息子に対してどう言うのか、とか……。役者って完成はしませんからね。あくまで追及であると思うんですよね。舞台に立っている時、技術だけでやっていても、お客さんには届きません。上手くやってやろうって気持ち、これも恐いですね。上手くやろうとしても上手く出来るわけがない。上手くやろうとか、見られてるって意識した時、やっぱりグラッと素に戻っちゃいますからね。このふたつの気持ちとか欲を、自分から追い出さないと舞台の中で役者は存在しないと思います。
鳴門
今でも素に戻ることもあるんですか。
青木
ありますよ、今だって。そういう時は台詞がカタくなったりします。自分と相手への関わり方、自分がここで何をやりたいのかということがきちっとしていないとダメ。昨日ウケたから今日も、みたいにやってたら足すくわれちゃいますよね。
 
鳴門
最後に、鳴門市民劇場会員へのメッセージをお願いできますか。
青木
この芝居は農業の芝居なんですけども、都会の方達も農業やっている方達も共感してくださいました。市民劇場の方がこの芝居を選んでくれて非常に嬉しいと思います。この市民劇場というシステムは外国にはないですよね。日本独特の演劇鑑賞会ですね。それが民主的に運営されている。自分達が観たいものを選んで、サークルをつくって広めていこうというのは素晴らしいものですよね。今この演劇鑑賞会の会員が少し減少気味ですよね。こういう時にこそ皆で楽しく演劇や市民劇場を盛り上げていって欲しいと思いますね。
鳴門
今日はありがとうございました。
青木力弥さんとインタビューア

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