山田珠真子さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問11

劇団東演「長江─乗合い船−」鳴門例会(2004年11月19日)に“方(ファン)先生”役で出演される山田珠真子さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

山田珠真子さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
今回の四国公演は、今治から始まって今晩は鳴門ですね。各地での手応えはいかがですか?
 
山田(敬称略)
おかげさまでわりと評判は良いようです。係の方たちが皆さんニコニコして、良かったですよとおっしゃって帰ってくださるので、有難いことだと思っています。
 
鳴門
最初に作品のことをお伺いしたいと思います。中国の現代劇については全く知らないのですが、この作品を取り上げた理由は?
 
山田
とにかく中国の現代劇って日本に全然入ってきてなかったんですよね。少し前に日中の演劇シンポジウムがありましたが、その時向こうから持ってきた作品がこれだったのです。その頃、たしか1996年頃、沈虹江さんはまだ新進の劇作家でした。今でもまだお若いですけどね。それと、この作品が向こうで色々な賞を貰っていたということで、代表団として派遣されて日本に来られたんですよ。シンポジウムでは皆で色々話し合ったのですが、その時、今日劉強役をするうちの能登が中国での教師経験があり中国語ができ、しかも芝居のことも知っているっていうことで、通訳としてお手伝いに行ったのです。そこでこの作品に巡りあったのです。すごくいい作品なので、うちで是非やりたいと制作部へ持って行きましたら、制作の人たちも読んで、これすごくいいんじゃないのということで、演ることになったのです。
 
鳴門
この作品のみどころはどこでしょうか?悲しい最後になっていますが。
 
山田
そうねえー。悲劇的と私は思っていないんですね、ずーっと独身で通してきて、ほら、人生の終わりの頃になってやっと理想の人に巡りあったんで、それはすごく幸せなことだと思っていて。まあ(その相手は)死んでしまうけれども、私はあの人のお嫁さんになったんだという。そんなに悲劇という風には…。
 
鳴門
最後はそんな風なのですか?でも高船長に巡りあって幸せな気持ちになっていくストーリーなのですね。
 
山田
そういう中で、今までいがみ合っていた若い夫婦とも心が通じ合うことになって…。
 
鳴門
ハッピーエンドなんですね?
 
山田
ハッピーエンドというわけでもないけれど、新しい人間関係を作れたという作品かな。
 
鳴門
ひと昔前の日本の人たちの気持ちのあり方と似ているのでしょうか?
 
山田
そうですね。でも中国にしても、これはひと昔前の話じゃないでしょうか。今ではああいう共同団地とかはないそうです。今は住宅事情もよくなってきて。
 
鳴門
では中国ではどのくらい前の話になるのでしょう?
 
山田
10年前の話ですね。日本が10年かかって変わるより、中国の変わり方ってすごいですからね。日本の2倍、3倍の速度で(変革を)やってますから。やっぱり中国にとってもこれはひと昔前の話ですね。
 
鳴門
日本でも失われ、中国でも失われつつある人々の日常生活感覚や感情が、やはり一番伝えたいところでしょうか?
 
山田
そうですね。そういう人間関係っていうのかな。芝居の中では、老人たちの恋愛が出てきて、やりとりが派手ですからこっちが目立ってしまいますが、作者は老人たちを暖かい目で見ている。一方今中国は、市場経済と社会主義がせめぎあっている状態の中で、どんどん市場経済が強くなっている。その中で生き方を見つけていく若い人たちを応援する気持ちもあって、作家は書いているのだと思うんですよね。
 
鳴門
中国の作品なのですが、場所、シチュエーションは違っても、内容を日本に移せば日本でもありうるようなお話でしょうか?
 
山田
住宅事情ってことでいえば、お舅さん、お姑さんと一緒に住んでいる若夫婦という関係だと思いますね。西洋のお芝居と違って、頭黒くてこんな顔していれば、中国人だって日本人だってわからないし、名前の呼び方とか気にならなければ、日本のお芝居とも受け止められますよね。老人と若者の差とか、今の日本の市場経済一辺倒の中でどうやって生きていこうかという若者の悩みは共通しているし、老人が元気になって老後どういう風に生きていこうかと考えなくちゃいけないということも。どれも同じだと思います。
 
鳴門
そういう意味では、特に中国の作品という感じはありませんか?
 
山田
いや、全然ないです。他のところで、「中国人らしい雰囲気がよく出てましたが、どういうところに気を使って演じられていましたか?」なんて訊かれるのですが、私たちそういう風に思って演ったこと全然ないんですよね。設定として今62歳で、小学校を定年退職した元女教師っていうだけのことで、中国人のというのは入れないで演ってますけど。それで十分通じるんじゃないかと思います。
 
鳴門
ロケーションとして長江の畔が重要と思われますし、本当にいいなあと感じます。
 
山田
だからお芝居のもうひとつの筋としては長江だと思う。長江の流れですね。作家も、物語の場所を長江の畔に据えたということは、中国の歴史が流れている中でのある一点として、このアパートを捉えている。だから高船長は死んでしまうんですけど、そういう中国の歴史の流れに呑み込まれていってしまう世代として描かれていますね。で、その次の世代は若い人たちだよと言っているのでしょう。その人たちもいずれは呑み込まれていくのでしょうけれども。そうやって中国の歴史は流れていくのだということを示唆していると思う。
 
鳴門
原題も長江なのですか?
 
山田
原題は同船過渡っていいます。同じ船に過ごし渡る。過ぎ渡る同じ船に乗り合わせたのだから何とかいがみ合わずに静かに向こうの岸まで、仲良く着きましょうっていう。長江はこちらでつけた題ですね。
鳴門
山田さんが女優になられたきっかけは何でしたか?ありふれた質問ですが。(笑)
 
山田
それがねえ。私は余り立派なきっかけがないんですけれども。大学を受験した時に、国立の大学じゃなきゃ駄目だって親がいうもので。でも受けたらどうも落ちそうだと思ったのです。そうはいっても落ちて普通のお仕事するのもつまらないし。じゃあ、その頃、私の小さい頃はまだラジオドラマとか沢山あって、俳優になろうかなと思って、そういう学校も受けたんですよ。そうしたらまあ大学も受かちゃったけれど、俳優の方も受かって。じゃあ両方行こうかということで。でも大学は午前中ほとんど行ってないんですよ(笑)。友達がよくて、友達にみな代返とか頼んで。まあ出なきゃならない体育とか何かありますでしょ。国立の大学だけは、そういうのは冬休みにスキー教室に出れば単位やるとか(笑)。1週間ぐらいスキー教室に行って単位もらったりして。あとは代返でほとんど過ごして大学を出ました。
大学在学中からもう劇団東演に入ったんです。その頃は劇団東演とはいいませんで、
東京演劇ゼミナールっていっていました。夜の研究生のコースに入りました。大学を卒業したと同時に劇団員になって、そのままずうっと居ついちゃって(笑)。別にねえ、一生やろうと思っていたわけでもないんですけれど。今のところこれが面白いからやってみようかと思って、その内もっと面白いことができたら、いつでも変わろうと思っていたんですけどね。そんなに面白いことも見つからなくて。いろんなことが私は好きなので、チョコチョコやってはみたんですけれども、まあ今のところこれが面白いかなと思っているうちに40年たってしまいました。
 
鳴門
東演では、大変責任の重い役職をされておりますが。代表をされておられると聞いております。
 
山田
どういうわけかそんなことになっちゃって。はい。
 
鳴門
「月光の夏」で来ていただきました時も、やはり女教師の役をされていましたね。すごく印象に残っております。教師役ばかりされているのでは(笑)。
 
山田
そうなんですよ。それがねえ、巡り合わせは100年目じゃないですが、巡り合わせってあるんですよ。私ね、大学は学芸大学なんです。先生を養成する大学…。だから「月光の夏」の時もね、ああこれは私が演るように出来てたんだと思ったけれども(笑)。またこの「長江」の先生の役も、ああこれは私が演るように出来てたんだと自分では勝手に思っているんですけれどもね。たまたまうちに中国語ができる人がいて、この「長江」という作品にも巡り合ったし、いろいろ考えると巡り合わせがそういう風になっているのだなあと思います。
 
鳴門
山田さんご自身としては、もっとシリアスな役を演じたいとか、もっとコミカルな役を演りたいとかご希望はありますか?
 
山田
特に得意という役はありませんが、コミカルな役の方がいいですね。はい、好きですね。私たち、劇団東演になる前に東京演劇ゼミナールっていってましたでしょ。その頃演っていたのは、ほとんどチェーホフのヴォードヴィルなんですよ。チェーホフのヴォードヴィルって一杯ありますけれど、そういうの大好きですから。
 
鳴門
印象としては、劇団東演というと重い(笑)、意味が深い芝居しかしないというイメージがありますが?
 
山田
そんなことないんですよ。始めの頃はヴォードヴィル集団だったんですよ。
 
鳴門
この夏の企画集会で提示されていたのは「どん底」だったので、やはり劇団東演らしい重厚なお芝居だと感じました。
 
山田
そういう意味では「どん底」は劇団東演らしいですけれど、私たちはチェーホフから入りましたでしょ。まずヴォードヴィルを演って、それから「ワーニャ叔父さん」とかチェーホフの大きな戯曲に移り、その後ゴーリキーの「どん底」とか演りまして、ロシア物が多かった。だから、劇団東演「ロミオとジュリエット」(ベリャコーヴィッチ演出)を以前、徳島市民劇場例会で観たとおっしゃいましたけど、ロシアの演出家を呼んでくるのは、うちとしてはそんなに奇を衒ってという感じでは、全くないのです。その前には「桜の園」をロシアの演出家で演ってましたし。ですから、ロシアの劇団と一緒に演ること等は、うちの方向性から外れているわけではないんですよ。
 
鳴門
「ロミオとジュリエット」を以前観させていただいて感激しました。こういうお芝居ができるのかと。全く違和感がなくて、すごいなあと思いました。だから劇団東演がものすごく印象に残っています。
 
山田
特に、今度候補に入れさせていただいている「どん底」は、皆さんもう良く知っている芝居ですし、「ロミオとジュリエット」みたいに、今までの「どん底」とは全然違いますから。
 
鳴門
劇団東演が目指している方向は?重厚なお芝居?今風の軽いお芝居はしない(笑)?
 
山田
今風の軽い芝居って?うーん、うーん。そうねえ、じゃあ「ロミ・ジュリ」みたいなのがお好きですか?(大好きです。)だから「ロミ・ジュリ」だって別の普通のやり方もありますでしょ、うちのは全然違いますけど。「どん底」も普通のやり方もあるけどうちのは全然違うっていうように。シリアスにやりたい部分もあるけど、シリアスじゃないからリアルじゃないということではない。やっぱりうちはリアリズムの演劇をやりたいとは思ってはいるのですけれども、その表し方は色々違いますよね。本当を言えば、いい作家がいて、これだったら日本の現代演劇を塗り替えるというようなね。ただねえ、作家をみつけるのがなかなか難しい。ですからいろんな国の作品を捜してきたり、今までに演っている作品で良いものを今日的にしてやりたいと思っています。けれども、そりゃあ一番やりたいのは、現代の日本の芝居ですよね。
 
鳴門
山田さんの目から見ていい作家は、若手、中堅でみつからないですか?
 
山田
この間、ちょっと巡り合って、ああこの人にお願いしたいなと思ってますけど、難しいですよね。本を書き上げるっていうのは、本当にお願いして出来るまでに何年もかかったりするでしょ。そうすると、本当にホットなものじゃなくなるかもしれないし、だからそこのところが難しいんですよね。
 
鳴門
今では、松田正隆さん、マキノノゾミさん、永井愛さんとかいますが。
 
山田
私、永井愛さんとかああいう路線はいいなあと思います。だってあのお芝居はリアルだものね、ああいうお芝居ならすごくいいなあと思います。
 
鳴門
最後に、市民劇場の印象をお聞きしたいのですが。
 
山田
今まで市民劇場って(当たり前に)あるものだと思ってましたでしょ。そしたらね、作家の沈さんがいらして、一番関心を持たれたのが市民劇場なの。というのは、中国は今まで親方日の丸じゃないけれども国でお客様も何も連れて来てくれるとこだったのが、今や、全部自分達でやるようになっているから、どうやってお客さんを開拓していくのかってことにすごい関心がある。だから沈さんは、これは素晴らしい組織だとおっしゃって、市民劇場の人たちとすごく話したがっている。ああそうなんだと思ったわけです。日本だけみたいですね、こういう素晴らしい組織があるのは。
 
鳴門
最後に会員の皆さんにメッセージがありましたらお願いします。5年前の「月光の夏」では、鳴門の会員が舞台で最初に遺書を読むところからお芝居が始まり、ああいう演出ができるんだと感激しました。
 
山田
いやなるべくね、うちはそういうことをやっていただきたいと思って、「楽園終着駅」という芝居では、最後が盆踊りなんですけれども、地元の人たち皆に盆踊りに出ていただいたり、老人ホームが舞台の芝居だったものですから、ホームの人たちにも出ていただきました。なるべく自分達の芝居だと思っていただけるのがいいなあと思って。
また近いうちにお目にかかれるように、私たちもいい作品を作りたいと思っております。
どうぞ劇団東演をご贔屓にお願い申しあげます。
山田珠真子さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。