角野卓造さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問6

文学座「缶詰」鳴門例会(2004年1月21日)に出演される角野卓造さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門
芸術祭最優秀賞を「缶詰」で受賞され、おめでとうございます。
 
角野(敬称略)
2000年初演の年に、私と田村、たかおの主役男3人で頂きました。大変名誉なことと思っています。
 
鳴門
お正月開けからの横浜、長野県内での公演の手ごたえはいかがでしたか。
 
角野
お蔭様で芝居の方は、各地で好評でいい拍手を頂いてうれしく思っています。14日からの大寒波で、スタッフ、キャストの間で風邪が続出して、僕も長野での公演の時ひどかったんですが、入院することもなくすみました。しっかり栄養とって、よく寝ることが第一で、夜の街へ繰り出すのはちょっとね(笑)。何と言っても空気が乾燥しているのが一番辛い。会館はお酒は水ですが(笑)、うまい所で給水しながらやっています。松本から名古屋経由で神戸まで出て、バスで初めて明石海峡大橋を渡って鳴門まで来ました。鳴門海峡は凪で静かで、渦が見られず残念でしたが、お天気も良く、景色が素晴らしく移動にはいい日でした。
 
鳴門
今回は再演と伺っておりますが、前回とは変わっていますか。
 
角野
3度目です。正確に言うと、4回仕立て直して、横浜を振り出しに四国を一周する予定です。芝居は基本的には変わっていません。演ってますと、その都度こうした方が良いとかあるし、稽古の中でもせりふを付け加えたりしますが、皆で了解してやってます。若干ニュアンスの違う所があるかもしれませんが、アドリブは入れませんので基本的には台本通りです。
 
鳴門
テレビとそっくりで(笑)驚いてますが、どんな思いで演じていますか。
 
角野
テレビの場合は役づくりをしません。そういう役を振られたら、その役を演っていきますが、自分の中に持っているもので演じることが多い。役をつくると浮いてしまって、つくっているのがわかってしまう。
 
鳴門
テレビと舞台では違うわけですね。
 
角野
人間を演じるということでは同じです。方法論は異なります。私たちは舞台では、一切マイクを使いません。声が音として聞こえるのでなく何を言ってるのかが、内容を含めてどういう気持ちで言っているのかが一番後ろまで届かないとだめですね。舞台で、後ろ向きや横向きで演るとお客様が欲求不満になる。顔が見える方がいい。会話でも真ん中の人物はある程度、客席向けにしゃべる。テレビではそんな事はありえない。それにしても久し振りの四国公演で、鳴門は初めてですね。
 
鳴門
文学座は硬い芝居をする印象が強いんですが。
 
角野
硬い、真面目な芝居ばかりすると思われてますが、僕はそうは思っていません。「缶詰」のような芝居は年に1、2本は演っているし、アトリエ公演ではそういうやわらかい芝居を多く公演しています。僕は文学座で30本ぐらい演っていると思いますが、硬い芝居は5本位かな。どうもいろんな所でそうは言われますが。
 
鳴門
この作品の内容は不景気な今の時代に合っているようですが。
 
角野
バブルが弾けて以降、経済状態が良くなっていないということですね。芝居の中では、厚底サンダル、そんなものは靴じゃねえやと言って、その製造を拒否したため、社長をしている製靴会社が業績不振に陥って、社長の座を追われる羽目になるんですが、景気が悪い事を前面に押し出しているわけではない。バブルの時代に演ってもインパクトあったのではないかと思う。「渡る世間」は、バブルの最盛期に始まったんですよ。トレンディードラマばかりの中で穴場といえば穴場だったんですね。
 
鳴門
ギターが大変お上手で、弾き語りをなさるそうですが。台本には無かったのでは。
 
角野
作家も歌が好きですよ。歌も入れようかなという話が出てきて。
 
鳴門
やはり、角野さんのアイディアですか。
 
角野
別に僕が歌を入れてくれって頼んだわけじゃない。僕たちは、これまでにも星屑の会で歌謡ムードコーラスの話を何作か創ってますよ。僕にとって一番インパクトが強かったのは、高校生時代のカレッジフォークソングです。歌もファッションもアメリカ文化の真似で、あの頃は全身アメリカに向いていたようにおもいますね。
 
鳴門
テレビでは、中年男をうまく演じておられます。自分の本当の姿ですか。
 
角野
自分の本当の姿って何だろうっておもいますね。こんなもんかというのはありますけど、はたして本当かとも思いますしね。
 
鳴門
テレビの役と今お話されている姿がほとんど変わりませんが。
 
角野
自分で役を作りたくない。柄としても二枚目ではないし。いい言葉で言えば個性的といわれるタイプと思う。そこらの親父というのがリアリティがある。しかし、そこに自分がないと言うことでなく、ラーメン屋の親父を演っててもそれは僕の一部分であり、「缶詰」の社長も一部分である。自分のなかの氷山の一角というもので、演る役によって自分の中に沈んでいるものを引っ張りだしてきている。僕の中にいろんな面があるのではないだろうか。
 
鳴門
役者は舞台が命のように言われますが。
 
角野
ぼくは舞台から始めましたから、そうは思わない。28歳くらいで、ようやく食べられるようになった。テレビの仕事がコンスタントに入るようになったから。それまではほとんど毎日芝居をやってても、それだけでは生活できなかった。舞台も仕事。テレビも仕事。文学座に籍を置いて、職業として芝居に賭けてみたかった。僕は自分の努力より、人のお陰でここまで来れたとしみじみ思います。
 
鳴門
劇団の雰囲気はどんな感じですか。皆さんの楽屋での様子は。
 
角野
皆いい歳ですから(笑)。年齢は高いんですが、気は若い。ヤングアットハート。お互いあまりベタベタしないである程度ドライに、うまくどっかで繋がってお互いにケアーしあっている。若いころは、搬入の時から楽屋でも舞台でも終わって旅館で食事、風呂、寝るのも一緒。人に疲れてしまった。でも、そういう濃密な人間関係の中にいてすごく勉強になった。欲求不満がたまって喧嘩もよくしたが、今は懐かしくいい思い出です。
 
鳴門
若い人を育てるのは大変でしょうね
 
角野
今の時代育てようと思わない方が良い。余り干渉してあれこれ言わなくても、本人がきちんと芝居に向き合っていれば成長していくのだから。
 
鳴門
初めて鳴門へ来て頂きましたが、会員の皆さんへメッセージがありましたら。
 
角野
いろんな芝居が沢山あると思いますが、私達はこういう芝居がすきです。大いに笑って、最後にちょっと共感して頂いたらと。どの作品にも柔らかい心で、難しいと思われないで、心に沁みる所があるので観続けて欲しい。


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